どうなる?道徳の授業

今日から新年度が始まりました。休日なのであまり実感はありませんが、明日から新しい制度に戸惑う職場や学校もあるかもしれません。全国の小学校ではこの春から道徳が教科化されることになり、物議を醸しているようです。従来の「道徳の時間」と何が変わるのでしょうか。

そもそも「教科」とは、文部科学省の検定を受けた「教科書」を用い、教員が数値などで「評価」するものと学習指導要領で定められています。これまでは教科書がなく、市販の副読本やテレビ番組などを活用した授業も多かったため、学校や教員によって内容や指導に大きな差がありました。

義務教育である以上、公立校においては全ての児童生徒が同じ量の教育を同じ質で等しく受けられるように環境を整えるべきです。検定教科書の利用は、その問題を解決することにつながります。

一方、「善悪の判断」「誠実」「思いやり」「国や郷土を愛する態度」などの項目について学ぶ性質上、他の科目と違い唯一無二の正解がありません。しかし、教科書でお手本が示され、教員の評価が始まれば、模範解答が生まれることになり、本来の科目の趣旨とかけ離れてしまいます。成績評価に関して、文部科学省は「児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め、励ます個人内評価」としていますが、教育現場では不安の声も大きいようです。

評価に対する不均等は、既に他の教科にも存在しているように感じます。例えば、音楽や美術などの芸術科目は個人の感性や表現力が問われ、正解がありません。国語でも、文章の良し悪しの判断は感覚的な部分が大きく、主張が先生と合わなかったために不正解とされるケースも少なくありません。答えがない以上、評価が個人の裁量に委ねられるのは仕方がないのかもしれません。

同省は、教材の読み込み中心だった従来から「考え議論する」授業への転換を進めています。誰かの答えを押し付けるのではなく、考え方の幅を広げたり視点を持ったりすることを目的としているのです。

人生の選択や人との関わり方など、実生活に必要な道徳的な問題に正解はありません。76億人もの人間がいれば、様々な価値観や考え方があります。時には人とぶつかることもあるし、理解しようとしても分かり合えないこともあります。自分と違う人やものを「間違っている」と思うのではなく、「色々な人やものが存在する」ことを受け入れること。その大切さがわかる授業であれば、いじめを防ぐことにもつながります。

ますます多様化する時代、高い受容性と広い視点をもつ人材の育成に期待です。

 

参考記事:

1日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面「道徳 評価に「課題ない」5教委」関連記事17、27面