「地獄の黙示録」を思考の教科書に

今日の朝日新聞と読売新聞では、それぞれの立場から「トランプ政権の核戦略の見直し」について解説や社説が掲載されていました。読み比べると面白いものだったので、自由に語ってみようと思います。

私はいわゆる「戦争映画」のジャンルの作品が好きです。そのきっかけは小学生のころに見たコッポラの「地獄の黙示録」でした。騎馬をヘリコプターに乗り換えた騎兵隊がベトナムの村を急襲するシーンが衝撃的でした。冗談抜きで「道徳の時間」などに見せるべき作品だと思っています。何が良いのかをなかなか言語化できないのですが、自分なりに単純化して「理想」「現実」「ミックス(中間)」の三層に分けて考えてみました。

まず「理想」の層では、徹底的に兵器の美しさ、戦士の美学を描いているのが魅力です。戦力的に圧倒している第一騎兵師団が自ら「ワルキューレの騎行」を流しながらベトナム側に襲いかかる。兵士たちは歓喜と言わんばかりの興奮の眼差しをしている。戦争で最も「魅了」されるものをこれでもかとヴィジュアル的に表現しているのが最高に面白いです。

それと対照なのが「現実」の層です。これが単なる「虐殺」であるということを表現します。攻撃の対象になるのは、軍事的な要所などではなく、小学校や田んぼなどしかない普通の村です。明らかに米軍の襲来を予期しておらず、本当に民兵レベルの戦力しかありません。このため、子供も含め一方的に殺されていきます。「戦争」が持っている美しさと対峙した残酷さがしっかり表されています。

その「理想」と「現実」の間にあるのは矛盾です。私の場合は、「自己中の暴力性」と「それに対する嫌悪感」の二つですが、これらが同一の時空に存在してしまうのです。言い切ってしまえる答えが出せない複雑性が、言語化出来ない最大の原因でしょう。

「理想」と「現実」の両層とも、論理的か感覚的という思考プロセスの違いがあれども、分かりやすい答えが用意されています。テレビの討論番組では、この二層でしか議論されないのでお互いの歩み寄りがありません。それと同じく、読売と朝日を空想で討論させてもやはりあまり意味はないなと結論づけられました。

自己矛盾の肯定の大切さを改めて確認しています。

今日のコラムは、取り留めも、目的もない話でした。

参考記事:
4日付 朝日新聞朝刊(13版)8面(オピニオン)「歴史に逆行する愚行」
同日付 読売新聞朝刊(14版)7面(国際)「米小型核 念頭に露」