読み取らない、考える道徳

 小学校のころの道徳の授業が、私はどうしても苦手でした。配布された教科書のお話を読んで、「○○ちゃんがかわいそう」と答えるのがあたかも正解のような気がしていたからです。物語の形式だと実話でないこともあるし、我が身のこととして考えるのが少し難しい。自分と同じ意見を持っている子がいるかもよくわからずに不安。それに、国語の授業と何が違うのだろう、と不思議に思ったこともあります。

 千葉県実籾小学校では、ひと工夫加えた道徳の授業が展開されました。

 六年生担当の蕨純夫先生は、教科書を使うのではなく、もっと身近なものを教材として使うそうです。例えば、「海水浴場でのきまり」が書かれた一枚のプリント。「小学校を卒業して9年、20歳を過ぎたみんなは、海水浴場にきた。浜辺で音楽を聞いてバーベキューを楽しんだが、翌年も訪れると、砂浜でのバーベキューや音楽を流すことが禁止されていた」というシチュエーションを児童に示し、考えさせます。

 これは、マナー違反が絶えないため、神奈川県逗子市の海岸で実際にルールが強化された事実をもとにしています。授業では、まず生徒全員を起立させ、挙手で「賛成」「反対」「どちらともいえない」など意見を募り、同じ意見の人が出てきたら座ってもらいます。
 このような方法をとることによって、自分がどう考えているかだけでなく、ほかの人がどう考えているか、自分と同じ考えの人がいるかなど、多面的なものの見方があるということを実体験することができます。教材選びでも、その日のニュースや新聞から選ぶと、児童たちの意見が二分し、驚くほど活発な議論が展開されるそうです。

 小学生といえども、少し難しい社会のニュースについて、しっかり考える力を持っています。リアルではない教材を使うより、実際に起きている、我が身に近い事柄を。
 そして、物事には良い部分と悪い部分の両面があることを知り、自分の考えと他人の考えをあわせ見ることを学ぶ。教科書の読み取りでは刺激されない部分を刺激してこそ、心の授業、道徳の授業と言えるでしょう。

参考記事:

28日付 読売新聞朝刊 13版 14面(くらし・教育) 「道徳 身近な題材で議論」