被害者取材 記者の役割は

 九州北部の豪雨災害発生から1週間が経ちました。これまで29名の方が亡くなり、今も20名以上の安否がわかっていません。読売新聞朝刊の39面には、祖母と母の捜索の様子を見守る坂本貴志さんの写真が載っています。憔悴しきった顔に、胸が痛みました。
 
 混乱のさなか、ツイッターではこんな情報が拡散されました。この災害で亡くなった母子のお通夜で、朝日新聞の記者が強引な取材をしたというのです。これはデマでした。朝日新聞や朝日新聞西部報道センターのツイッター公式アカウントは「そのような事実はない」と否定しています。
 
 被災者や被害者への取材に批判的な声は多く聞かれます。真偽はどうであれ、こんなツイートが広く拡散されたということは、記者の振る舞いに日ごろから厳しい視線を向ける人が少なくないことの証左といえるでしょう。
 
 しかし、被害者取材は必要だと考えます。例えば今回の災害であれば、死者29人、避難者1300人以上などのデータだけで、私たちはどれだけ具体的に被害の悲惨さを想像できるでしょうか。亡くなった人の名前は、顔は、どんな人だったか、どんなことをしていたのか。細かい取材があって初めて、生前のその人の姿が浮かび上がってきます。それを知ることで、ひとりの命が失われてしまったことの大きさがようやく実感できるということがよくあります。

 この1週間、周囲との会話で九州豪雨が話題に上ったことはほとんどありませんでした。自分に直接の関わりがない危機には、どうしても鈍感になってしまいます。しかし、いつか自分にも訪れるかもしれません。その時、自らや周りの人を守れるかどうかは、これまでに同じような危機が起きた時に、どれだけ目を向け、必要な情報を得たのかが大きく関わってきます。それを支えるのが報道の仕事だと思っています。

 取材のためなら何をしてもいいわけではありません。それでも、私たちが目を逸らしたり無関心になっている一瞬一瞬を見逃さず、記事や写真で伝える役割は重要です。

参考記事:
13日付 読売新聞朝刊(東京13版)1面「豪雨1週間 政府、激甚指定へ」
                   39面「祖母、母………見つけてほしい」