福知山線脱線事故 責任の所在はどこに

 マンションに巻き付くように大破した車両、担架で運ばれていく人々、日没後も続けられる救助作業、犠牲者の氏名が次々と呼び上げられるニュース番組。

 当時、私は小学校3年生でしたが事故を伝えた報道を鮮明に覚えています。幼心にも大きな衝撃を受けた出来事でした。

 福知山線脱線事故で最高裁はJR西日本の歴代3人の社長を無罪としました。彼らの刑事責任は問われることなく、裁判は終わりを迎えました。この判断の根拠には、経営トップが個別のカーブ情報に接する機会がなかったこと、当時の法令では自動列車停止装置(ATS)の設置義務はなく、大半の鉄道事業者が整備していなかったことが挙げられました。

 107人の死者を出した悲惨な事故です。本当に経営の最高責任者に「責任」がないとして良いのでしょうか?刑事責任を負う人がいないまま終わりを迎えて良いのでしょうか?

 当時、事故原因を探る報道で「日勤教育」の存在が事故の背景にあったとされました。「日勤教育」とはミスをした運転士らを乗務からはずし、草むしりなどをさせる懲罰的な労務管理のことです。この仕組みができた背景には安全よりも利益を優先する企業体質がありました。

 私は組織全体の雰囲気を作るのはそのトップであり、ミスが起こった場合に謝罪をし責任を取るのもトップの責務であると思います。そのため、歴代社長の刑事責任が問われなかったことに大きな疑問を感じます。多くの死者を出した事故の責任の所在が裁判で明らかにされなかったことは納得できません。

 遺族の一部は、法人の責任を問えるようにする「組織罰」を作る運動を続けています。実現すれば、今回のように刑事責任を負う者がいないまま幕引きを迎えることもなくなるでしょう。

 事故後、JR西日本では日勤教育の廃止など安全対策に向けて大幅な改革を進めました。二度と同じような悲劇が起こらないような対策をすることが犠牲者へのせめてもの供養であると思います。事故が風化しないことを強く望みます。

参考記事:
14日付 朝日新聞朝刊(大阪14版)1面「脱線 刑事責任問えず」
同日付  読売新聞朝刊(大阪14版)33面「遺族「組織罰が必要」」