五輪施設見直しは無意味だった?

もっと税金の重みを考えて使ってください

 今朝の朝日新聞投書欄には、2020年東京五輪・パラリンピックの競技会場見直し問題で、「アスリートファースト」に異議を唱える声が紹介されています。被災者や納税者の立場からの、国民の切実な意見です。都民ではありませんが、筆者も一人の国民として余計なお金を使いすぎだと感じます。五輪だからと言って派手な施設は必要ないと思うのです。

 しかしそんな声とは裏腹に、横浜案を断念しバレーボールを当初案通り有明アリーナで開催することが発表されました。これで小池知事が見直しを始めた一連の問題に決着がつき、ボート・カヌー、水泳、バレーボールのいずれの競技においても施設の新設が決まりました。IOCの影響力もあり、既存施設への会場変更を求めた9月の案から大きく後退する結果となりました。0勝3敗、知事の完敗と言えるかもしれません。競技団体や候補地とされた自治体からは振り回されたと批判が相次ぎました。

 それでも見直し自体は意義のあることだったと思います。たとえ、「大山鳴動してねずみ1匹」だとしても。当初は7000億円と言われた経費が3兆円を上回る可能性が明らかになりましたが、最終的に上限2兆円に落ち着きました。切り込む人がいなければもっと膨らんでいたことでしょう。また見直しに慎重な都庁組織を動かし、コストを意識させるきっかけにもなりました。結果的にボート・カヌーと水泳、バレーの3競技だけで、400億円の削減が実現しました。

 今後は新設や増設をする会場についてもしっかりと精査してほしいと思います。長野五輪では新設されたボブスレー・リュージュ競技場が、維持費を払えず存続の危機に立たされている例もあります。豪華でも、便利でも、大会後に活用できなければ意味がありません。国民の恒常的な利用やレガシー形成が見込めるかという視点から、簡素なものにするのか、恒久的な施設にするのかをはっきりと割り切り、削減できる所は数十億円ずつでも削減すべきです。遅れをとる五輪関連の予算編成など課題は山積みですが、こだわり続けてきた「もったいない精神」と情報公開を存分に生かした手腕に注目したいです。

 

17日付 各紙 「五輪施設見直し問題決着」関連面