「取り合う」ではなく「一緒に」

 1956年10月19日。モスクワで鳩山一郎首相とブルガーニン首相が日ソ共同宣言に署名しました。平和条約締結後に歯舞諸島と色丹島を日本に引き渡すとされています。しかし、60年経った今も、平和条約は締結されていません。日本側は北方4島を領土問題としていますが、ロシア側はすでに解決済としています。

 北方領土の返還に向け、日本は交渉を加速させようとしています。今年12月にはプーチン大統領の来日が予定されており、順調に事が進んでいるかのようにも見えます。それは日本にいる私の勘違いなのかもしれません。ロシア政府は、遊休地を国民に無償で与える制度を始め、北方領土でも10人以上の申請を受理したといいます。北方領土に私有地が増えれば、交渉が複雑になることは必至でしょう。

 歴史を振り返れば、1951年のサンフランシスコ講和条約で、日本は北方4島を除く、千島列島と樺太の半分を放棄しました。ただ、これはあくまで日本の立場です。ロシアは第二次世界大戦後、4島がロシアへ移ったと考えています。

 日本政府は歩み寄る姿勢を示していますが、ロシア政府の遊休地制度を見る限り、強気な態度を取ろうとしています。2つの大国の間にある4つの島は、それだけの溝を作ってきました。日本としては領土問題ですから、どちらのものであるか、が重要です。しかし、60年経っても動かなかった問題です。0なのか4なのか、それとも2つずつなのか。そうではなく、両国で北方領土を見守ることはできないのでしょうか。

 1992年からビザなし交流という交流事業が行われています。日本人と北方4島に住むロシア人との交流のためです。風土や考え方に触れる目的とされていますが、対象者は北方領土に関係する人や専門家など限られた人です。受け入れるのも北方領土に居住しているロシア人のみで、それ以外の人はできません。この条件を緩和し、行きたい人が誰でもビザなしで交流できれば、相手のことを知るきっかけが増えます。取り合うのではなくて、一緒に何かをしていくことを考えていきたいのです。

参考記事:
19日 各紙朝刊「日ソ共同宣言から60年」関連記事