ルッキズムには反対だけれど 私の「見た目」との付き合い方

 

ルッキズム。長らく及び腰になっていたテーマです。3年前に、「『こんな脚でスカート穿いていい?』答えるなら」という記事を書きました。友人に脚の太さについて意見を求められ、うまく答えられなかった筆者でしたが、記事では次のようにまとめています。

次に友人から意見を求められたら、「あなたが着たいと思うなら着れば良いし、まだこの体型では着たくないと思うのなら着なければ良い。自分の美しいと思うものを信じていいと思う」と力強く背中を押せたらいいなと思います。

なんだか綺麗ごとを書いていますが、これではやはり、十分に友人の背中を押せなかったのではと、もやもやしていたのです。多くの人は「私が着たいから着る」ではなく、「自分がより良く見えるように服を着る」から。結局あれから筆者自身、ダイエットに目覚めてみたり、痩身エステに通ってみたりもしました。「見た目」と、どう付き合っていけば良いのでしょうか。

 

■「美しさ」の感性を広げる、磨く

テレビやSNSの影響で、自分が美しいと思うものの幅が狭められていることを自覚し、その幅を積極的に広げていきたいと思っています。義務感からではなく、多様な美を受け取れる感性を持つ方が、より幸せでいられるからです。ファッションの流行と同じで、先駆者は好奇の目で見られることもあるかもしれません。けれど、周りが慣れたり、本人が自信を持ってその姿を楽しむようになったり、誰かの感性に触れて評価され始めたりすれば、周囲の感性も変わることがあるでしょう。

何かを見てその場で「不快」と思ってしまうのは仕方のないことだと思います。しかしそれは本当に不快なんだろうかと疑問を向けることから始めたい。違った角度から見たら、その背景を見たら、その人の「ありのまま」が美しく思えてくる。美術作品や音楽への感性と同じで、磨けば、受け取ることのできる「美しさ」は今よりもっと広がっていくのではないでしょうか。

■『美しくない』ネガティブな表現はどうすべきか

今すぐに変えられない、見た目に関するネガティブな表現は、本人が求めていない限り、時には求められていたとしても、したくないと考えています。そういった表現をすることで、本人が気づいていなかった部分に気づける、後々「改善」できるという側面もあるかもしれません。けれど、それがどれだけその人の心に傷を負わせかねないか、十二分に想像してから言葉は発すべきです。

これはあくまで自分の経験ですが、他のどんな綺麗な言葉を後から上書きしても、「気にしなくて良いんだよ」と言われても、かつて言われた見た目に関する言葉がいつも脳裏に浮かぶ、ということがあるからです。客観的に見れば大したことはないでしょうし、心身ともに調子の良い時にはそんなことも忘れています。でも人間、合理的に生きるのって難しい。したいとも思っていない「気にしない努力」に、労力を使いたくないなとも思います。

またこれは、先に述べた「美の感性を広げる」ためでもあります。「良くない」と一度自分の中でレッテルを貼り、他の人に伝えてしまった価値観は、なかなか変わりにくいと思うからです。

 

■ミスコンは、ルッキズムを助長する?

かつて、ミス・コンテストはどうあるべきなのか気になり、名古屋でのミセスコンテストの出場者パーティーを取材したことがあります。世間では「ミスコンによってルッキズムが助長される」という声が盛んになっていた時期です。

ステージに立ち、夢や希望を語る女性たちを目の当たりにしました。自分の生い立ちやミセスコンにチャレンジするに至った経緯、これをきっかけに自分を見つめ前向きに理想を目指すことの面白さ、素晴らしさ。コンテスト対策レッスンで実績を残す主催者の女性は「コンテストは自己表現の場」と語りかけていました。

確かに彼女らが出場してきたコンテストでは、見た目だけの「美しさ」は、もはや審査基準になっていませんでした。外見だけでなく、立ち居振る舞い、話し方、経験、性格、知性……あらゆるものを評価の対象にします。そして「何が良いのか」がはっきりと示されていない、というのもポイントでしょう。「細い」「姿勢が良い」などと目指すものが一様なわけではなく、「魅力的」と思わせれば高い評価を得られるのです。さらには出場者自身も、コンテストの過程で、自分の理想を追い求めて努力する女性に囲まれ、その姿の美しさに刺激を受けます。

こういったコンテストは、「あれもこれも、確かに美しい」と、むしろ「美しさ」の価値観を多様にする役割を担っているのではないか、と思わされました。

 

さまざまな「美」に触れながら、自分の価値観を積極的に広げながら、今ある「自分らしい美しさ」を発見していきたい。前向きに、自分なりの理想を追い求めていきたい。少しずつ、「見た目」との付き合い方が見えてきた気がしています。