「最短」という名の鎖をほどいて スマホや時間から解放されてみる

クリスマス当日の25日は横浜のクリスマスマーケットに行った。月曜日だから空いているかなという浅はかな期待は打ち砕かれ、会場内は思うように動けないほど大勢の人で賑わっていた。

イルミネーションが始まるまでの時間、赤レンガ倉庫近くのワールドポーターズで時間を潰していた。皆同じことを考えているようで、建物の中に人が増えすぎたせいか回線が重い。1時間ほどで収まったが、スマホの右上にある電波マークには1本も柱が立たず、4Gの文字すら表示されない瞬間さえあった。

調べものをするにも、アプリを使うにも、地図を確認するにも、スマホが動かないことにはどうしようもない。通信不能の時間は短くても、なんだかどこか落ち着かないというか不安に駆られた。

 

25日の日本経済新聞の「春秋」にも似たことが書いてあった。テレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の話から始まり、番組ルールでスマホ検索が禁じられている乗り継ぎの旅と違って、普段の生活では見知らぬ土地で地図を広げることも道を尋ねることもないことを振り返る。私たち現代人は、電車の乗り換えも、目的地までの最短ルートも、何一つ苦労することなくスマホが一瞬で最適解を教えてくれる生活に慣れきってしまっている。

規模感が違うが、かつて筆者は「桃太郎電鉄」のゲームを模してサイコロを振って出た目に停まりながら山手線を一周したことがある。その時は普段なら用事がなければ行くことのない大塚、田町、御徒町に降りた。目的地や所要時間を決めずにいると、駅の構造や周りを歩く年齢層など普段は見落としそうなことまでよく見えたのを覚えている。

 

「真の発見の旅とは、新しい景色を見ることではない。新しい目で見ることなのだ」

フランスの作家プルーストの言葉だ。1分1秒に追われる普段の生活では、最短こそ至高なことに異論はない。どこに行ってもスマホ1つで迷わないでいられることを文明の勝利といっても過言ではないだろう。しかし、時間に、スマホに、いつも縛られていてはワクワクが減ってしまうのではないだろうか。人生には寄り道や遠回りするゆとりや、日常に潜む発見の種から得られる豊かさが必要なはずだ。

雨の日も、風の日も、毎日時間的余裕を作るというのは難しい。これから社会人になるともなればなおさらだ。ただ、天気が良い時、気分が乗っている時、体調がいい時、時々で良いから、「最短」という名の鎖をほどきたい。常にこの世界を新しい目で見ることを忘れないために。

 

参考記事:

25日付 日経電子版 「春秋」

春秋(12月25日) – 日本経済新聞 (nikkei.com)