勤勉ばかり褒めないで 子どもに伝えるべきなのは

 

今私の中で、勉強がアツい。面白い。

新しいことを知る。知識が繋がる。思考し、自分で答えを導き出せる。できることが一つずつ増える……可能性が広がっていく感覚です。いつもよりたっぷり時間を取れているからか、「効率的に、たくさんのものを学ばなければいけない」などと意識せず、プレッシャーなく取り組めています。一つ一つの学びに面白さ、嬉しさを感じます。SNSをただ眺めるのとは違った、主体的に学ぶことによって答えを見つけ、知的好奇心が満たされる充実感です。自然と、もっとやりたい!と思えています。

なぜ今まで、この感覚を忘れていたのだろう。もっと前から、夢中になって学びに親しんでいたら、もっと能動的で楽しい人生を送れたかもしれないのに。

 

■「勉強は面白くないけどしなきゃいけない」価値観は、環境が作る

学びが「義務的」な存在に変わったのは、結構早い段階からだと思います。

小・中学校と、多くの先生が、「努力、勤勉は素晴らしい」というメッセージは発していましたが、学びそのものの魅力を真っ直ぐに伝える教員は少なかったように思います。「勉強は面白くないものだ。でも、取り組まなければ将来の幅が狭まる。入試を突破できない」「やりたくなくても、やらなければいけないことに粘り強く取り組む力が必要」。そんな前提がありました。

また、それを受けてか、多くの生徒が勉強を手段として捉えており、たとえ思っていても「学ぶって面白いよね」とは言いづらい雰囲気があったのでは、と思います。「真面目」「カタい」「変わってる」は、当時の筆者にとっては、褒め言葉ではありませんでした。

高校に入れば、勉強はより一層手段になりました。学校や塾で聞く「△△先輩って〇〇大学に行ったの?すごい!」「まあ〇〇大学に落ちた人はこっちの大学にいくよね」という会話や、「偏差値」という数字を見て、「歯を食いしばって、効率的に勉強ができる頭の良い人の価値が高いらしい」「私もできるだけ上の大学に行くべき」「〇〇大学よりは上でないと恥ずかしい」と言う価値観が着々と形成されていきました。

正直、その大学に入ることの何がすごいのか実感はなかったけれど、私も社会を知っているふりをしたかったので、みんながすごいすごいと言っている大学名を聞いたら「すごーい」と言うようになっていました。(実は今でも、大企業の名前を聞いて「すごーい」とは言いますが、正直何がなぜそんなにすごいのか、実感を伴えていないことが少なくありません。)

 

■「学ぶって面白い」「嬉しい」を伝えることに重点を

「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、受験や資格、勤勉さなどの大きな「森」に憧れを持ちすぎて、木の一つ一つを考えながら育む作業がつまらなくなってしまう人は少なくないと思うのです。

私にとって「努力は素晴らしい」「偏差値の高い大学に入ることは素晴らしい」と言う価値観は、自分で考えたわけではなく周りからの影響で固められていきました。逆に、これからの子どもたちには、本来「学び」が持つ「世界を知れた」「できることが増えた」という一つ一つの歓びの存在を、積極的に言葉にして伝えていくべきではないでしょうか。

言葉にすることで、問題を解いたり、新しいことを知ったりした時の「ちょっと楽しいかも」「なんか心地よいかも」「素敵かも」と言う感覚の輪郭がはっきりするようになってくると思うのです。身近な誰かが「良い」と評価したことで、その良さを解ろうと、神経を研ぎ澄ました経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

 

■学びに親しむと

学びに親しむと、自分のいる世界の新たな事実を知れる。問題解決ができる。たくさんの人が共に生きていくためにどうすれば良いのか考えられる。自分が幸せになる方法を考えられる。生涯かけて「学びの歓び」を追い求められる人が増えれば、世界の可能性はもっともっと広がる、そんな気がしています。

 

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