開業から50年ついに閉館に さようなら中野サンプラザ

前日の曇り空から打って変わって、日光が肌を突き刺さんばかりの晴天の中野駅前には一眼カメラを持った人が多くいました。なにかイベントでもあったかとレンズの先を見てみると、中野サンプラザが夏の光を真正面から浴び、いつもより輝いて誇らしげにそびえ立っていました。

中野サンプラザと中野区役所、中野区役所も移転が決まっている

2日筆者撮影

1973年の開業から50年間、中野のトレードマークとして親しまれた中野サンプラザは、今日7月2日山下達郎のコンサートをもって閉館します。

筆者が初めてサンプラザを見たのは、2019年の3月でした。下宿探しのついでに進学先である明治大学中野キャンパスの見学に行きました。中央線を降りると目の前には三角形の巨大な建物がありました。今となれば別段モダンでも、摩天楼と呼べるほど大きいわけでもない建物ですが、上京したての私と父はこれが都会かと感動したものです。その建物には帝京平成大学と大きな文字で書かれていたため、「これがCMでよく目にする帝京平成大学か」とも思いました。地方から出てきたばかりの明大生の「あるある話」です。

その後の長い学生生活においてサンプラザは心の支えでした。入学後初めてのデートはサンプラザの下にあるダーツ屋でした。その店にはもう20回以上行きました。24時間開いているので近くの飲み屋街で遊んだ後でも行けるうえ安い。ダーツ屋は私の学生生活に欠かせないものでした。また、コロナ禍の初期に半年間実家での生活を強いられ、やっとの思いで中野に帰ったときにみたサンプラザは今でも忘れられません。中野区民にとってのサンプラザは、日本人にとっての富士山のようなものだと思います。

十年一昔とよく言いますが、これが50年ともなれば大昔です。筆者はサンプラザと出会ってまだ5年ですが、それでもこの建物がなくなる現実と向き合えません。筆者より年長の方からすると喪失感も一入だろうと思い、カメラを構えて最後の勇姿を写真に収めている方たちにお話を聞きました。

サンプラザ前の広場には多くの人が集まり思い思いに写真を取っていた

2日筆者撮影

生まれてからずっと中野に住んでいる50代の男性は、サンプラザは幼い頃に建てられて以来ずっと中野の象徴であり、なくなると中野らしさがなくなってしまうと仰っていました。ただ、50年も経つと老朽化も激しく以前と比べて汚れが目立っている印象があるそうです。再開発の議論が出始めた頃は改修していまの建物を残してほしいと思ったそうですが、今となっては半世紀前のサンプラザのように住民をあっと驚かすような建物を作って欲しいと前向きな気持でサンプラザを見送ります。

中野駅の高架から山下達郎のCDとともにサンプラザとのツーショットを撮っていた女性は、サンプラザで開催された山下達郎のコンサートにはほぼすべて参加してきたそうです。サンプラザで100回近くコンサートを開催してきたアーティストということもあり、ヤマタツファンにとってサンプラザは実家も同然。年を取って物忘れが激しくなってきたが、中野駅からサンプラザまでの道のりは忘れない、と冗談をいっていました。ちなみにサンプラザは駅の目の前にあります。

解体後の再開発計画はすでに公開されています。計画によると現在の中野区役所とサンプラザのある場所に「中野サンプラザシティ」が建てられます。完成予想図ではサンプラザの特徴的な形は影を潜め、都会によくある高層ビルになっています。サンプラザの他にも中野駅付近は大型のビルやマンションを建てる再開発計画で盛り上がっています。長い間、中野は「サブカルの聖地」として全国に知られてきました。再開発するにしても、多様性に富み個性的な中野をどこにでもある凡庸な街にするようなことだけはやってもらいたくないものです。区民の新たな誇りとなるようなビルを期待します。

 

参考記事

読売新聞オンライン7月2日「ありがとう「中野サンプラザ」、山下達郎さんが閉館日のステージに」

https://www.yomiuri.co.jp/national/20230702-OYT1T50106/

朝日新聞デジタル6月30日「サンプラザ、中野育てた50年 集団就職の若者へ、交流支えたアトリウム あさって閉館」

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15675570.html