仙台駅から電車やバスに揺られること、40分。東日本大震災によって甚大な被害を受けた荒浜地区に行きました。(前編「仙台荒浜地区を訪ねて―残された土地に求められる復興の形は」はこちらから)
水没し、いまは更地となった一帯に残るのは、仙台市立荒浜小学校校舎と津波の影響でむき出しになった住宅の基礎だけです。人が暮らすことができなくなった今も、震災遺構として保存されています。
◇荒浜小学校
東日本大震災の2016年年3月に閉校した荒浜小学校。強い揺れに襲われた3月11日。児童と周辺住民の総勢320人が、校舎4階や屋上に避難しました。現在は、震災の教訓、そして暮らしが失われてしまった地区の記憶を後世に伝えるべく、遺構として一般公開されています。
津波が押し寄せた2階まではそのままに、3、4階には震災関連の書籍が置かれ、9年間にもわたって荒浜の暮らしを記録したNHKドキュメンタリー「イナサ」が上映されるなど、展示スペースとなっていました。
津波によって水没した1階の教室を見ると、床や天井、教室のいたるところが剥げ、蛍光灯は考えられないほど錆びつき、ひどく歪んでいます。別の教室では、天板の間に缶が挟まったままになっており、津波がこの教室全体を沈めた、そんな情景が浮かんできました。
◇荒浜地区住宅基礎
荒浜小学校から海岸方面へ10分ほど歩くと、遺構となった住宅基礎が見えてきます。極力手を加えず保存されています。津波で破壊された住宅は、ただの「コンクリートの塊」のようです。ここで人々は憩い、私たちと同じように日常生活を過ごしていたとは、到底思えない光景でした。
ですが、近づくとタイル張りの空間がのぞいているものがありました。お風呂場です。スマホのカメラを最大限アップにすると、風呂用給湯器とステンレス製の浴槽も見えました。また、その裏側にはトイレもあり、一部だけですが、12年前までの間取りが浮かび上がります。荒廃した空間の中に、ごく普通の日常の片鱗を感じたことで、震災の猛威が生々しく迫ってきました。
◇どこでも地震は起こる 遺構に学び防災意識を高めたい
「地震大国」と呼ばれる日本。5月5日には、石川県で震度6強の地震が発生し、家屋の倒壊や死傷者が出るなど、大きな被害が報告されています。
首都直下地震や南海トラフ地震は、30年以内に70%の確率で発生すると想定されています。また、日本列島には少なくとも約2,000の活断層があると言われており、いつどこで大規模災害に見舞われてもおかしくはありません。
震災から12年の月日が経ち、被災地に住む人々でさえも、その8割が防災意識の薄まりを感じているという調査結果があります。東日本大震災以降、同じ規模の災害が発生していないことや、警報や避難指示への慣れがその理由です。
3.11は経験しているものの、生まれも育ちも東京の筆者にとって、今回、間近で見た震災遺構はとてもショッキングでした。津波の押し寄せる様子や、瓦礫の山となった町。確かに、そういった惨状はテレビを通じて、伝えられてはいました。ですが、まだ小学生というのもあってか、ここまで津波被害の大きさや、住民の暮らしへの影響をひしひしと感じることはありませんでした。
思い返してみれば、帰りのホームルームの際に防災に関するビラが配布されたりするだけで、学校教育の中で「震災」について深く学んだり、考えたりすることがなかったようにも思います。大地震の教訓や記憶をどう伝えていくのか。東日本大震災を知らない世代が増えていく今日では、大きな課題です。
2020年度に行われた教育改革では、共通テストの問題にも見られるように、考える力に重きが置かれています。そうだとするのなら、実際に足を運び、目で見て感じることも同様に、必要だと感じます。特に、日本は地震などの自然災害に見舞われやすいからこそ、記憶を風化させず、それぞれが「明日は我が身」と思うくらいの危機感を持っていなければならないのではないでしょうか。
参考資料:
仙台市、「震災遺構仙台市荒浜地区住宅基礎」
内閣府、「地震災害」
参考記事:
朝日新聞デジタル2023年5月6日配信、「『中央』との非対称性 震災・戦争・復興を問う『東北』のまなざし」