私の専攻はアメリカ政治史です。しかし、現在、愛知県の単位互換事業を利用して愛知県立芸術大学で西洋美術史と現代アートの授業を受けています。創作の視点が意識されており、とても新鮮に感じます。アートは自分から遠く離れたもののように思っていましたが、学び始めるとそれが一転しました。
美術史を学ぶと、当時の政治や外交、技術革新などが背景にあることが分かります。例えば、エジプト美術の人体のプロポーションを定めた「カノン」は、位の高い人物ほど厳格に適用されました。誰が壁画を描こうと、権力者は常に同じ姿を現したのです。このような秩序の確立には、安定した支配が不可欠でしょう。次に、フランスで端を発した印象派を見てみましょう。19世紀前半に写真が発明されると、外界世界をそのままに写し、記録することが可能になりました。これにより、絵画の意義が問い直されたのです。写実的に描くことに意義はあるのかと。そこで興ったのが印象派です。このような例から、アートは社会を映す鏡だと理解することができます。この視点は、歴史学を学ぶ上でも大きなヒントとなるでしょう。一見、私の専攻とは無関係のように思えますが、思考や論理の組み方は共通しているのです。
また、創作の視点は、生きる上で重要なメッセージが含まれていることがあります。私が普段何かを創作することはありません。しかし、仲間と研究したり、自分の目標に向かったりすることは、一つのものを創造するに等しいはずです。行き詰まりを感じたときに、芸術家のことばが手掛かりになることもあります。ニューヨークを拠点に国際的に活躍するアーティスト、サラ・ジーは、大学院に入ったとき、自身は技術は身につけたけれど中身がないことに気付きます。そこで、彼女は長年続けてきた絵からすっかり離れ、インスタレーションを展開したのです。彼女はそこで得たイメージを再び絵に持ち込みました。
それまで継続してきたことをストップするのは、勇気のいることでしょう。しかし、私たちは離れたり、戻ったり、どこへでも行けるのではないのでしょうか。それは失敗でも逃げでもないのだと彼女に背中を押されたように感じました。
一見、自分とはかけ離れたもののように思えても、アートは私たちが学び、生きていく際の知恵となりのかもしれません。
参考記事:
30日付 日本経済新聞(朝刊) 12面(文化時評)