今話題のチャットGPT。各国では様々な議論がなされている。日本では、松本剛明総務相は「開発と規制の両立が必要」、河野太郎デジタル相は「積極的に考えていきたい」と発言。一方でイタリアは、チャットGPTの使用を一時禁止、アメリカではAIの規制案を検討するため一般からの意見募集を開始するなど、各国様々な対策を練っている。このように、日本では特に大きい規制はないことから、活用している人も多い。
先日テレビをつけると、チャットGPTがクローズアップされていた。その中でも興味深かったのが、大学教授へのインタビューだ。生徒から受け取ったエッセイがあまりに完璧だったため疑問を感じ、チャットGPTに「これはあなたが書いたものか?」と尋ねたところ、「99.9%の確率で書いた」と答えたそう。人間が頭で考えるよりも完璧なエッセイをつくるAI。毎期、提出期限に追われながらレポートを何時間もかけて書いているのが、馬鹿馬鹿しくも思えてくる。
先日は、友人がこんなことを言っていた。「チャットGPTがなければ、エントリーシート書けなかった、この時代で良かった」と。その発言を聞いて筆者は、「チャットGPTを使ってまで行きたい企業とは?」と思ってしまったが、口を噤んでおいた。そう、この有能AI、就活に使っている人もいるらしいのだ。
普通の人間を遥かに超えた知能を持つAI。そんなに完璧なら、私たち人間は必要ないのではないか、とさえ思う。しかし、そんなAIにも欠点はある。それは嘘をつけないことだ。「チャットGPT、助けて!」と藁にもすがるような気持ちで利用し、完璧なものを作り上げて提出しても、それを受け取った側が少しでも完璧さに疑問を感じ、そしてチャットGPTにかけられてしまったら終わりだ。「99.9%の確率で私が書きました」と、すぐに裏切られる。単位はない。
やはり、「頼るのは自分の脳だけにしとけ」ということだろうか。レポートやエントリーシートなどは、完璧を求められているわけではない。やはり、いくら時間をかけてでも、「自分らしい考え」を伝えることが大事なのではないだろうか。チャットGPTを使って全ての物を完成させたとて、後々苦労するのは自分なのだから。
そう述べておきながらも、ここだけの話、AIが嘘をつけるようになったら話は別だ、と思ってしまっている自分が心のどこかにいる、とだけは言っておくことにする。
参考記事 : 朝日新聞 13日付 愛知6面13版 「信頼できるAI」議論へ