思い出す「3・11」、これからも

 

ちょうど1年前、宮城県仙台市と石巻市を訪れました。震災による津波で大きな被害に見舞われた石巻市門脇町の景色を、今でも鮮明に覚えています。荒廃した土地。約4700人が住んでいたというその場所に住宅は見当たらず、灰色の世界が広がっていました。

1万8000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から、今日で丸5年。避難生活を送る人は、今もなお17万4471人にのぼります。「まだ5年」なのか、「もう5年」なのか。政府は昨日首相官邸で復興推進会議を開き、今後5年間の「復興・創生期間」(2016~20年度)の取り組みをまとめた基本方針を決定しました。安倍首相は記者会見で「復興は確実に前進している」と述べ、被災地の自立を支援していく方針を強調しました。

被災者の心の声は、どうでしょうか。福島県の浜通り地方からの避難者を対象に朝日新聞・福島大学が実施した共同調査では、回答者の91%が「国が復興に注いでいる力は十分ではないと思う」と回答しています。政府の考える「復興」と、被災者の考える「復興」。両者には溝があるのでしょうか。

また、首相は原子力発電所の再稼働について、「資源に乏しい我が国が経済性、気候変動の問題に配慮しつつ、エネルギー供給の安定性を確保するためには原子力は欠かせない」ともコメントしています。経済性をとるのか安全性をとるのか、難しい問題です。しかし、忘れてはならないことは、原発事故により今もなお多くの方が「安心できる状態にはない」と感じていることです。福島県双葉町から郡山市に避難した42歳の男性は、「再稼働は福島を忘れている証拠」だと前述のアンケートで述べています。

去年仙台市へ行った際、50代くらいの男性に話を聞きました。1カ月くらい電気・水道・ガスなしで生活したという男性。震災の風化についてうかがいました。「震災に関する報道は減ってしまった。人間は忘れてしまう生き物だからね。でも、報道が『ゼロ』にならないことが大切なんだよ」。首相のコメントに触れ、男性の言葉を思い出しました。震災と原発事故の被害を伝え続けること。そして、「忘れてしまう」ことはあっても、「思い出す努力」をすること。

毎年やってくる「3・11」に、私は思い出します。せめて、この日だけでも。読者の皆さんは、何を思いますか。何を考えますか。

 

参考記事:

11日付 各紙関連面