23日、第16回朝日杯将棋オープン戦が行われた。藤井聡太竜王は、6回目の出場にして4度目の優勝。本人もこの棋戦との相性の良さを感じると言うほどの優勝率を誇る。
ただ、全ての対局を危なげなく勝っているわけではない。今回も決勝トーナメントのうち決勝戦を除く3戦は逆転勝ちだった。藤井竜王の卓越した終盤力や流れを引き込む巧みな勝負術が多く観られるという点では嬉しいが、レジェンド羽生九段でも成し遂げられなかった、同シーズンに4大公式棋戦(朝日杯、銀河戦、NHK杯、日本シリーズ)をすべて優勝するグランドスラムに王手をかけるかどうかという一戦だったため、ファンとしてはヒヤヒヤする展開だった。
持ち時間の短い早指し戦では、形勢が大きく揺れ動くいわゆるシーソーゲームになりやすい。今回の朝日杯もそうだ。そんな試合をアマチュアの筆者が見ても十分に楽しめるようになったのは、間違いなく将棋AIのおかげである。AIが示す通りに棋士が指せるかは別として、現在の局面を評価するとどちらが優勢か一目でわかるのは、級位者のアマチュアにはありがたい限りだ。
この他にも、2021年名局賞に選ばれた藤井当時七段初めてのタイトル戦である棋聖戦第1局。次善手を指すと形勢が逆転する16連続王手を、藤井七段がかわし切ったことが話題になったのも、AIが誰の目にもわかる評価値を示したからこそのものだ。
これだけ聞くとAIの功績は偉大だと多くの人は感じることだろう。実際に偉大であることは、おそらく間違いない。しかし、どうしても人間同士の勝負ならではのエンタメ性が失われている気がしてならない。
AIは必ず指し手に順位を付ける。そうすると最善手のみが絶対視されやすい。対局を観る視聴者たちもそれを「正解」だと思ってしまう節がある。名人3期の実績がある佐藤天彦九段は、こうしたAI絶対の状況を「評価値ディストピア」と表現した。人間同士の対局では、あえて局面を紛れさせる「勝負手」というものが存在する。評価値では測れない戦術だが、AIの前では「不正解」になってしまう。
いつしか勝負の世界から、プロ棋士が正解の手を選べるかという別のゲームに成り下がっているようでなんだか悲しい。正解だけを選び続けるゲームなら、「棋士」などという仕事はいらない。実戦に臨んでの心理ならではの選択があり、人間だからこそ通用する勝負術があり、対局者同士が作り上げた世界を棋譜に残すのが「将棋」というものだ。
将棋AIはこれからも発展し貢献度は増していく一方だろう。それでも、この本質は変わらないことを忘れずにいたい。
参考記事:
27日付 朝日新聞朝刊 20面(生活) 「700人の視線 藤井竜王4度目V」
テレビ朝日news 「羽生九段『勝率94%』で投了のワケ 将棋AIの功罪」