植物を愛しすぎた男「牧野富太郎」が今熱い!

高知県が推す、いま大注目の人物が「牧野富太郎」です。歴史上の有名人が多い県で、幕末から明治時代にかけて活躍した板垣退助、『三酔人経綸問答』を著した中江兆民、倒幕運動を推し進めた坂本龍馬などがよく知られています。偉人ぞろいの高知県で脚光を浴びている牧野富太郎とは一体誰なのでしょうか。

1月中旬に高知県を旅した筆者は、観光パンフレットの表紙の多くが、にっこりと笑うおじいさんの写真であること、花や植物に関するイベントが頻繁に開催されていることに驚きました。このおじいさんこそ牧野富太郎です。彼は植物分類学の第一人者で、この春からのNHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルになりました。

富太郎の笑顔が印象的なパンフレット。見るだけで引き込まれる表情だ。(1月27日筆者撮影)

富太郎は1862年に高知県に生まれ、幼少期より植物をこよなく愛しました。生涯を通して40万点もの植物標本を収集し、500種類以上の植物に名をつけています。研究の集大成として1940年に『牧野日本植物図鑑』を発刊するなど、植物に囲まれた人生を送りました。今はネットや図鑑で調べれば、植物の名前から特徴まですぐにわかる時代ですが、富太郎が生まれた今から160年ほど前は、身の回りに生えていた植物の名前を私たちは知ることができなかったのです。彼が先駆者となり、日本に生育する植物の生態がだんだんと解き明かされていきました。

研究に没頭する富太郎を支えた妻・壽衛(すえ)への感謝から、彼女の名前を取ってスエコザサと命名した。(牧野植物園にて1月22日筆者撮影)

その功績を称えるため、死後には「牧野植物園」が開園しました。博士ゆかりの野生植物などを3000種類以上見ることができ、彼が描いた植物図や、植物に対する熱い思いを生涯の歩みと重ね合わせて知ることができます。朝ドラのモデルになったことが発表された後の入園者について、ボランティアガイドの男性は「今までの2倍に近いぐらい来てくれる人が増えている感覚だ」と話しました。「彼を知ってきてくれる人が増えたら嬉しい」と朝ドラ効果に期待を寄せているようです。

植物園に咲いていたバイカオウレン。博士にとって土佐を思い起こさせる特別な存在だったようで、晩年には故郷の香りがすると言って顔にこすりつけたとの話もある。(1月22日筆者撮影)

富太郎が刊行した牧野日本植物圖鑑を図書館で借りて読んでみました。それぞれの植物の日本語名、別名、学名、生息や特徴などが細かく記され、さらに精緻な植物図が添えられています。博士は画力にも秀でており、自身で書いた植物図が著書に掲載されています。あまりにも細かすぎる描写と説明は、博士が徹底的に観察し、植物について知ったからこその賜物です。植物の世界を伝えたいという彼の強い思いと、膨大な知識をぎゅっと詰め込んだ内容になっています。

図書館で借りた『牧野日本植物圖鑑』。1953年のもので、紙は日焼けしている。発刊から繰り返し改訂、増補が重ねられている。(1月27日筆者撮影)

また、博士はいくつもの著書を残しており、『花物語』には「名なし草などという植物は一本もない」、『随筆草木志』には「私は植物の愛人としてこの世に生れ來たやうに感じます。或は草木の精かも知れんと自分で自分を疑ひます」と書き、『植物知識』には植物が持つ物語と博士が感じた植物への思いを書き留めるなど、植物への愛をひしひしと感じることができます。人生をかけて日本の植物のすべてを明らかにしようとした博士の文章だからこそ、一つ一つの品種と彼の思い出がつながっている感覚を覚え、読者は「面白そうな世界だ」と感じるのではないでしょうか。

牧野富太郎という一人の研究者を通して植物の世界に興味を持ち、日常にあふれる草木や花々が気になり始めた今日この頃。すっかり彼のファンになってしまいました。

植物園では「これにも名前があるの?」と思う植物にも一つずつ説明が書かれていた。(1月22日筆者撮影)

 

参考記事:

2022年11月22日付 読売新聞オンライン「万葉集の歌に詠まれた植物、図鑑に…「日本植物学の父」牧野富太郎が構想」

参考資料:

高知県立牧野植物園ホームページ