主権者であるためには、人生が足りなさすぎるけれど

小学生の時だったか、地球温暖化という現象を初めて知ったとき、恐怖感を覚えました。

中学以降も、たくさんの国際問題を知りました。貧困にあえぐ人々、学校に行きたくてたまらないのに労働を強いられる子どもが世界にたくさんいること。アフリカの紛争地域では、精神的なダメージを与える手っ取り早いことから、武器の代わりとして目を伏せたくなるほどむごい強姦の被害を受ける女性・子どもがたくさんいること。この時代にもまだ、人身売買が行われている国があること。

国民が政治に参加する民主主義や憲法、法律の意義も学びました。それが脅かされている国、国民の意見に耳を貸そうともしない政府が、世界にはまだたくさんあることを知りました。

日本社会も、たくさんの問題を抱えていることを知りました。

人権が無視され、入管施設に収容された外国人や技能実習生がいること。仕事の重さに見合わない低賃金で働く非正規雇用者がたくさんいること。性的少数者というだけで保障されない人権があること。ジェンダーギャップが埋まっていないこと。長時間労働が蔓延り、心身に支障をきたす人がいること。家庭や地域によって大きな教育格差があること。他の先進国と比べ、若者の自殺率が高いこと。

いくつもの難問が目の前に横たわっています。

新型コロナウイルスとどう向き合うのか。格差是正、経済成長のためにどんな金融政策を取るのか。原発を再稼働するか否か。国家の安全保障のためにどう外交を進めていくべきか。国民の権利を保障する憲法はどうあるべきか。エネルギーや地球環境、貧困などの国際問題とどう向き合うのか。どんな国を目指すべきなのか。

たくさんの問題に触れるたびに、「のうのうと生きていないで、何かしなきゃ」という思いに駆られます。そしてあれこれ調べるうちに、自分の無力さに絶望します。大きな問題であるほど、解決策を考えるにはまず勉強量が必要だと。そして少し問題に立ち向かってみるうちに、別の絶望にも気がつき始めます。

「これだけの問題を抱えているのに、どうして大人たちは無関心のままなのか」

大事な問題こそ多角的に議論を交わす必要があります。たくさんの人が行動する必要があります。

 

けれど段々とわかってきました。自分と接する大人たち―親、親戚、先生、アルバイト先の上司―みんな、自分の仕事や私生活での問題を抱え、さらには自己実現や趣味で一杯一杯です。自分自身も、ボランティア活動に専念したとき、テストに追われたとき、友達や恋人との時間を大切にしたいと思ったとき、選挙のことなんて考えられなかった。

ましてや、コロナとか、原発とか、安全保障とか、気候変動とか、事実の認識から専門家の意見が分かれるような問題については、自分の立場を定めるために必要な情報を取捨選択するにも膨大な時間と労力がかかります。腰を据えて政治に参加するには、現状だと、とてもではないけれど人生が足りなさすぎる。でも、一部の人だけに政治を任せたくはない。民主主義を崩すべきではない。はあ、どうすれば良いのでしょう。新たな問題を知るたびに、投げ出してしまいたくなります。

月並みですが、少しずつ、社会に目を向け、自分とどう繋がっているのか考える癖をつけていくしかないのでしょう。プライベートの時間のうち、社会に目を向ける時間を少しずつ捻出してみる。自分の詳しくない問題については、友人などを誘って勉強会に進んで参加する。一緒に考えようとしている仲間がいるだけでも救われるかもしれません。今年行われる選挙について調べておく。どの政治家が良さそうなのか、ある程度目星をつけ、その党首の動きを確認しておく。「少しずつでも、ゼロよりまし」と思えば、重い腰も上がるかもしれません。

とりあえず私は、まずはこれから先、中学校社会科の講師として働きながら、さまざまな問題について、情報を集め現場に足を運んで勉強を続けようと思っています。自分自身が胸を張って「一人前の主権者です」と言えるように、少しずつ。子どもたちと一緒に、主権者はどうあるべきなのか考えていこうと思います。彼らが18歳になったときに自信をもって投票できるようになってもらえたら万々歳ですが、焦りすぎず彼らと対等に向き合うことを忘れず、取り組んでいきます。

世界は一つずつしか変えられないけど、一つずつなら変えられる

これは、私が活動していたボランティア団体で学んだ言葉です。大きすぎる問題を前に、何もかもどうでも良くなってしまう時も、ひと踏ん張りして希望を見つけ、時には大切な人との時間を楽しみながらも、課題解決に目を向け続けていきたいものです。