先日、日経電子版でフィルムカメラの魅力について語る記事を見つけました。スマホの時代に逆行するかのように現代の若者に人気を集めているフィルムカメラ。放送作家の小山薫堂さんは、その理由を次のように述べていました。
「一言でいうと『遠回り』かなと思う。モノはどれだけ目的に対して近道を通るかということを考え、進化したり発明されたりしてきた。その『近道』は便利だが、あっけなく、余白が生まれない。あえて遠回りするようなことが魅力に感じているのではないか」
たしかに、急速な進化が生活を便利にしてきた一方で、モノには均質性が見られるようになり、「らしさ」の喪失を感じることがあります。安くて大量のファストファッションよりもじっくりと時間をかけたオーダーメイドの服の方が重宝されるのも頷けます。「近道」は早くて楽な反面、個性や面白みに欠けてしまうのかもしれません。
このことは、モノだけに限った話ではありません。例えば、街並みの均質化。ロンドン、ソウル、香港、東京などの近代化した都会の風景は、グローバル化が進むにつれて、まるで都市開発の教科書を見て作ったかのようにどこも似たような街並みをしています。
立ち並ぶ四角い高層ビル。夜になるとビルから漏れる光が街全体をライトアップ。少し歩けば近くにはスターバックス、マクドナルドなどのファストフード店が並んでいます。かつては、建物の造り方ひとつ取っても、特有の文化や「らしさ」が顕れていたはずなのに、今やどこと都市にいても同じ場所にいるかのような感覚になります。
独創的な景観という点でいうと、5年前の夏に白川郷の合掌造りに寝泊まりをしたときの体験が今でも鮮明に記憶に残っています。
クーラーもテレビも備え付けられていませんでした。コンビニでカップラーメンを食べることももちろんありません。明かりもほとんどないため、日が落ちると同時に暗闇に包まれ、村は静まり閉ざします。外からは虫の鳴き声だけが聞こえてきます。窓が開いているので、夏の蒸し暑さと風の匂いを感じながら、眠りにつきました。
そんな都会の便利さとは少し違った不自由さが却って「らしさ」を感じさせ、ノスタルジックな世界へと私たちを連れて行ってくれたのです。
レベル1のゲームを延々とプレイしていても面白くないように、時には自らを慣れ親しんだ空間から叩き落す冒険の旅が人生をより面白くさせるのではないかと感じるのです。近代化はたしかに生活を豊かにしますが、変わらない良さはいつまでも持ち続けてほしいなと思います。
参考記事:
3日付 日経新聞電子版「あえて「遠回り」がフィルムカメラの魅力 小山薫堂さん」