将棋AIから考える まだ見ぬ空白と自分らしさ

おそらく将棋ファンの全員が待ち望んだであろうゴールデンカード。平成の天才羽生善治vs令和の天才藤井聡太の王将戦七番勝負が、来年1月8日に開幕する。

王将戦で挑戦権を賭けた総当たり戦に臨める棋士はわずか7人。ちなみに、名人戦で挑戦権を争奪するA級に属する棋士は10人いる。さらに、今年の王将リーグ参加者は羽生九段以外でも、数多のタイトルを手にしたトップ棋士の渡辺名人、永瀬王座、豊島九段、さらに若手ホープの近藤七段や服部五段にA級棋士糸谷八段という文句のつけようのない顔ぶれだった。

そして毎年7人中3人がリーグ陥落。今年はあの渡辺名人ですら陥落する厳しさだ。リーグ入りするには、全棋士参加の予選から勝ち残った3人に限られる。これ以上の狭き門はないというプロセスを経て、挑戦者が決まった。

昨年は29期在位したA級順位戦から陥落、そしてプロ棋士人生初となる負け越しという苦汁をなめた羽生九段。それが今年は一転。先ほど説明した通り、リーグに残るのも大変、入るのも大変、挑戦者になるのはもっと大変と言われる通称「地獄の王将リーグ」を9年ぶりとなる全勝で通過した。9年前の全勝者も羽生九段だったことから、復調ぶりを強く印象付けた。今回で72期になる王将戦の内、全勝での挑戦達成は今回を含めてわずか8回しかない。まるで別人のような活躍の背景には、「AI」の活用がある。

 

将棋AIの今

将棋AIは本当に身近になった。実力はプロとはかけ離れているが、アマチュアの筆者でさえゲームに搭載されたデータで自分の指した将棋を検討する時代だ。「電王戦」というソフト対人間の勝負が終わってから5年が経っても、AIの進化は留まるところを知らない。専門的な話になるが、歴史の長い「NNUE系」と、ここ最近台頭してきた「DL系」のどちらが優れているかというのが、ここ1、2年の将棋AIの世界で論議の的だ。

毎年5月に「世界コンピューター将棋選手権」という将棋プログラム同士の対局がある。その棋譜を拝見すると、とても人間には指しこなせないようなハイレベルの戦いが繰り広げられている。藤井五冠らトップ棋士でさえも、こうしたもはや人智を超えたソフトをお手本にしながら日々の研究に勤しんでいるというのが現状だ。

 

まだ見ぬ空白を探して

「AIも探索しない空白の場所が必ず存在します。空白の鉱脈を探す作業は、可能性がとてつもなく低い意味でギャンブルですが、必ず空白の場所はあります。」

羽生九段の新聞インタビューの一部だ。現代将棋のトレンドは「角換わり」戦型。形が決まりやすく進行が予想しやすいため、研究の深い棋士では最後の詰みの局面まで研究していると言われるほどだ。直近まで続いた竜王戦のタイトル戦も、6局中4局が角換わり。一方、羽生九段が採用して勝ち星を稼いでいるのは「横歩取り」である。

数年前、時の名人であった佐藤天彦九段はこれを得意とし高い勝率を挙げていたが、2019年の名人戦で挑戦者の豊島九段に敗れ「横歩取りは終わった」とささやかれた。実際、横歩取りへの対策が一気に進化し、最近ではAIが評価しなくなったことから実践例が減っていた。そんな中、羽生九段はほとんどの人が着目せずにいた横歩取りに可能性の世界を発見した。さすが平成の天才は伊達ではない。卓越した将棋への理解があってこそできる芸当だ。

 

最近はTikTokで撮った画像をイラストにしてくれるなど、AIはどんどん生活に浸透してきている。筆者が今取り組んでいる「書く」作業でも、AI記者だけではなくAI詩人などの活用が進んでいる。

ただ、将棋AIもそうだが、「この局面はどのくらい良いか」ということを教えてくれても、「なぜその局面が良いか」ということまでは示してくれない。つまり意味を考えるのは、まだまだ人間の仕事だということだ。

「全部ロジックで完結して仕上がっているものは、意外と完成度が高くないんじゃないかなと思っています。説明できることはマニュアル化できるので、それ以外のところに個性やオリジナリティーが潜んでいるんじゃないかな」。羽生さんの他のインタビューでの一言だ。AIが作るロジックの外、つまりまだ見ぬ空白に「意味」という価値を見つけ出すということが、技術革新時代における自分らしさの獲得方法なのかもしれない。

 

参考記事:

23日付 朝日新聞朝刊 28面(文化) 「平成の覇者 令和の挑戦」