なぜかまねしたくなる、知らんけど

先日、初対面の人に「どこ出身の方ですか」と聞かれました。どうやら私がエセ関西弁を使っていたために、関西生まれだと勘違いされたようなのです。正直のところ、縁もゆかりもありません。でも、なんだかおもろいことが自分に起こっている気がしています。

◆使ってる! 知らんけど

私は朝日新聞のオピニオン欄「耕論」が好きです。今朝、10日付の同記事「使ってる? 知らんけど」を読みました。見出しにある通り、今月流行語大賞として表彰された「知らんけど」が取り上げられていました。

なぜ今更ノミネートされたのか分からないほど、日常にありふれた言葉に感じられます。そう思うくらい私も使うし、友達も使います。

でも、これは私が愛知県の大学に通っているためかもしれません。そもそも東北や九州の方言に出あうことはほとんどなく、地理的に関西が近いからです。また、三重県から通う学生も関西弁に似た言葉で話します。

少し話がそれますが、関西弁の他に三河弁を話す人にもよく出会います。岡崎市や豊田市などの三河地方の出身者にとどまらず、静岡県から通う学生も使う言葉です。たとえば「やってみて」は、三河弁だと「やってみりん」。ちなみに名古屋に住む学生はけっして「エビフリャー」とは言いません。

◆なぜ私たちはエセ関西弁を使うのか

「知らんけど」は耕論によれば、「自分へのツッコミの役目」「コスプレとしての方言」「社会から自分を守る言葉」という三つの意味で捉えられていました。いずれも間違っていないんだろうなあと思いますが、実際に使う側には深い意味はたぶんないのでしょう。

同じ時を過ごす人とは、不思議といろいろなものが似通ってくるものです。みんなが使うなら言葉だって真似をします。関西出身でもない私が「ほんまに」「そうなんや」といった言葉をつい使ってしまうのは、ファッションではなく、自然に、です。周りの友達が使っていて、発音しやすいから。言うなれば「みんな語」です。

毎日のように話す友達とは、みんな語は使いません。関西弁を全く使わず、私たち2人だけの、何語でもない独自のイントネーションで話します。合言葉だってあります。

ただ、間違いなく言えるのは、方言が軽んじられたり、差別されたりしないのは気持ちがいいということです。幼い頃に読んだ本には、関西弁の登場人物が「お笑い芸人の言葉」と馬鹿にされる場面が何度もありました。均質化でなく、多様性を大切にするという人々の姿勢が言葉に反映されてきたのなら、うれしいことだと思います。

参考記事:

10日付 朝日新聞朝刊(13版)13面「知ってる? 知らんけど」