内申書の存在拡大 「部活配点」の明示による影響を考えているか

25日の読売新聞を読んでいると、高校入試の際に必要になる中学の内申書の話が取り上げられていました。テストの成績だけでない真の数値化の仕組みの限界について、評価基準の難しさや高校入試における内申書の比重の変化を中心に触れられています。一方社会面では、内申書に記載する部活動の実績等が、高校受験でどう評価されるのかを明示するように教育委員会に求める方針が決まったことを報じています。

この2つの記事を見て、中学生にとっての「内申書」と「部活」が中学生にとってどのような存在なのかが気になりました。

高校受験では内申書を出願校に提出します。そこには各教科を5段階で評価した内申点と欠席日数、部活動やその成績、委員会活動などが記載されています。細目は都道府県によって異なるようですが、注目したいのが「部活動」や「委員会活動」、その他ボランティア活動など、勉強面以外の評価です。読売新聞によると現在は「部活動や生徒会活動の評価基準や配点を公表している教委や高校は一部にとどまる」といいます。さらに高校入試で有利になることを期待している生徒や親がいること、それにより部活動の過熱化が招かれるとの指摘もありました。

内申書には多くの課題があります。現在公立中学校の内申点は2002年から導入された絶対評価で、1~5の5段階です。あらかじめ決められている基準に達しているかで決まり、自分が結果を残せば周りの環境に左右されることなく高い評価を得ることができます。筆者は高校が絶対評価でしたが、ほとんどの生徒が3~5の間で成績がついていたように思います。基準があるとはいえ、生徒の成績をすべてにおいて数値化できるものではないことから、先生の主観的な判断に頼る側面があることが気になります。中学校や担当の先生によって、成績分布が異なるのも事実です。

筆者は大阪府の国立中学校に通っていたからか、成績は相対評価でした。中学の一学年の人数は160人。相対評価では自分の成績が学年でどの位置にいるのかが明確になります。たとえば5がつくのは20%とされていれば、32人だけです。いくら優秀でもその集団の中でどんな位置にいるのかという基準のため、自分よりも優秀な生徒がいれば1や2がつく可能性もあるのです。

科目ごとの相対評価のほかに5段階の絶対評価もあった。評価の観点の判断基準はわからない。(10月25日筆者撮影)

そして、テストの成績なのか、提出物なのか、授業態度なのか、先生に気に入られている度合いなのか。何が影響しているのか分からない分、いい成績を取ろうと思えば、何事にも真剣に取り組まなければいけません。内申点におびえながら過ごしていた中学時代を思い出します。その点では絶対評価にした方が個人の成績を「平等に」評価できているといえるかもしれません。

今回記事で着目されていた活動に関する内申も明確な基準はありませんし、部活動や生徒会活動をしていない生徒にとっては非常に気がかりな項目になります。筆者が中学時代、同級生からは、普段の学校生活で内申に響かないように「いい子」の姿勢を守らなければならないという声も聞きました。なんと息苦しい学校生活でしょうか。部活や普段の活動の評価基準が分からない以上、生徒は気を張り続けなければなりません。

ならば、内申書の部活、活動の評価基準を明示するほうが望ましいのでしょうか。こちらについても懸念はあります。現在中学校教員の部活顧問の忙しさが問題視されています。そのため、部活動や生徒会活動の活発化が促されれば、教員や生徒への負担が大きくなるのは避けられません。保護者から学校への期待はもちろんのこと、子どもの意思を尊重しない部活動への参加が増えるかもしれません。筆者は中学時代、陸上部に所属していました。結果を求める気持ちは根底にありましたが、友人関係や精神力など結果だけでない得たものがたくさんありました。内申に縛られた部活動では本来部活動に求められていた目的や効果が達成できるとは思えません。

現在の中学生にとって内申書の存在が非常に大きくなっていることに驚きつつも、「部活配点」の明示を求めるのであれば、時代の変化に伴う部活動の在り方や現状すでにある問題と向き合う必要があると思います。

 

参考記事:

25日付 読売新聞朝刊 (福岡12版)教育12面『数値化の仕組みに「限界」』

25日付 読売新聞朝刊 (福岡13版)社会27面『内申書「部活配点」明示を』