「敬老の日」いつ人は老いるのか

窓の外は大雨。せめて室内で優雅な午後を過ごそうと、部屋で本を開きました。夏目漱石のかの有名な小説を読んでいて、気になった一節があります。

「……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きている位だから丈夫と云わねばなるまい。(『吾輩は猫である』から)

62で生きている位……。いささか大げさな描写に感じられたのですが、明治時代の平均寿命はなんと43歳前後。2021年の男性は81.47年、女性は87.57年ですから、現在の半分ほどしか生きられない計算になります。

厚生労働省によれば、1930(昭和5)年ごろでさえ、男性は44.82年、女性は46.56年。昭和に入っても、平均寿命は50歳を下回っていたようです。 

(7月29日付読売新聞オンラインから)

各紙によれば、現在の日本では総人口の約3割が65歳以上。しかも、65~69歳の50%がいまも働いているのだそうです。たった100年たらずで、日本は「人生100年時代」の超高齢社会になったというのは驚くべきことです。

ところで、今日の新聞を読みながら、「高齢者」と「老人」を同じ文脈で使っていたことに気が付きました。「高齢者」は WHO の定義では65歳以上の者を指す、年齢のみに着目した呼び方。一方で「老人」は年をとった人という意味で、厳密な定義はありません。時代によって寿命が変わるなら、いつ人は老人になるのでしょう。

「子供が大人になるのは、大人が必要になったときさ。よくおぼえておきな。大人が必要でなかったもんだから、四十になってもまだ子供だった人を知ってるだ」(『逃走』から)

ノーベル賞受賞作家のスタインベックが、登場人物に語らせた言葉です。いつから大人になるのかさえ、いまだに私は分かりません。運が良ければ、一生子どもでいられるのでしょうか。すると、老人と子どもの境目など本当はないのかもしれません。

今日は「敬老の日」。どうすれば老人と若者との距離を縮められるのか、考えてみることに意味はあるでしょう。まずは自分より人生を何倍も長く生きてきた方々を、心から労(ねぎら)いたいと思います。生きているというだけで、すばらしいことだから。

参考記事:

19日付 朝日新聞朝刊(14版)1面「65〜69歳就業率 初の5割超」

19日付 読売新聞朝刊(13版)3面 社説「若い世代との交流深めたい」

参考資料:

厚生労働省 令和3年簡易生命表の概況

厚生労働省 第20回生命表

内閣府 国民の祝日について