原爆投下という事実に慣れてはいませんか?

8月9日、長崎市の爆心地公園に向かった。うっすらと雲が広がっているが、気温は高い。蝉の声が鳴り響く中、公園では政治団体や市民集会が平和の訴えをしていた。主要紙や地元紙の記者は植え込みの縁に腰かけ、忙しそうにパソコンを打っている。

1年前も、私はここにいた。今年はロシアのウクライナ侵攻が続いていることから、話を伺うとこれに言及する人々が多いという違いはあったが、公園内の全体の雰囲気は昨年とさほど変わらなかった。

ただ、決定的に違う何かがあるような気がしていた。ずっと考えて気づいた。去年とは比べられないほど、自分に緊張感がなくなっているのだと。昨年、この公園で見聞きしたことをまとめた筆者の記事(2021年8月14日)には、公園内の物々しい空気に「緊張が走る」と記していたが、今回はその言葉は思い浮かばなかった。

幼いころから長崎を何度も訪れていた筆者だが、原爆の日をこの場所で迎えたのは去年が初めてだった。自分が見たことがない街の姿が衝撃だった。その感覚を今でも鮮明に覚えているからこそ、1年後の今、同じ状況を目の前にしてほとんど心が揺さぶられない自分が不思議だった。

 

原爆落下中心地碑の様子(9日、筆者撮影)

それでも、取材した人の言葉は間違いなく私にとって刺激になった。菊の花を両手で持っていた22歳の男性。来年から就職で九州を離れるため、今年が最後かもと思って献花に訪れたそうだ。

「僕ね、去年のこの日はたまたま福岡にいたんですけど、全然雰囲気が違くて。それにびっくりしたんですよ」。福岡在住の身としては気になる。「例えばどんな違いがありましたか?」と聞くと、「投下の時間、福岡はサイレンが鳴らないですよね。普通に時間が過ぎていくことが違和感でした。長崎だと必ず鳴って黙祷するから」。加えてこう言う。「もともと小倉に落とされる予定でしたよね。だから、77年前に対する態度が福岡と長崎でこんなに違っていいのかって思ってしまいますね」

男性の言う通り、8月9日のアメリカ軍による原爆投下の第一目標は、福岡県東部の街・小倉だった。ただ、小倉上空はその日視界が悪く、原爆を搭載した「B29」は第二目標の長崎に向かう。長崎も厚手の雲に覆われていたが、切れ間から市街の一部が爆撃手の目に映った。三菱製鋼所近くのその場所が急遽投下目標となり、午前11時2分、高度9600メートルから放たれた。

長崎という場所、11時2分という時刻。誰もが知っている事実だが、それは数々の「偶然」が重なってしまった結果だということに気づかされる。少しでもその条件が異なれば、犠牲となった人は違った。そして77年後の今、私がこうしてこの場所に来ることもなかった。そう考えると、この公園がそれまでと違って見える。

爆心地公園のほとりを流れる「下の川」。地元の子どもなどによって制作された平和を祈念する壁画が展示されている(9日、筆者撮影)

人は適応能力を持っている。炎天下の中、多くの人が集まり核なき平和を訴えるというこの状況は他ではなかなか目にすることができないが、一度知ってしまうと、どうしても慣れる。ただ一方で、公園に来ていた人に話を聞いて知り得た情報は昨年のものとは違っており、それらは私に緊張感をもたらした。やけどを負って亡くなった方に思いをはせ、遺体で埋め尽くされたとされる川の水に指先をつける人、白血病で同級生を次々に亡くした人など、公園に来ている人たちの経験や思いはさまざま。たくさんの話を伺えたことは、私にとって貴重な経験だ。

きのこ雲の映像、皮膚が焼けただれた人の写真を見て、原爆について知った気になってはいないだろうか。これらを初めて見た時の衝撃はかなり大きいと思うが、何度も見ているうちに慣れてしまう。そうした人間の性に真摯に向き合うことは絶対に必要だと思う。

「まずは知ることが大事」。原爆投下に関する記事や番組の締めによく用いられるセンテンスだ。おなじみ過ぎて聞き飽きたと感じる人もいるかもしれないが、私はとても大切だと思う。知ろうとする姿勢があれば、多少なりとも新しい情報が入ってくる。そして、それは間違いなく刺激となるからだ。

非常に多くの人を巻き込んだ77年前の原爆投下。それ故、切り口はいくらでもある。5日から上映されている映画「長崎の郵便配達」では外国人の視点で原爆投下が描かれている。戦後のGHQによる情報統制によって、放射線の影響など明かされなかった事実もある。角度を変えながら原爆投下について見つめることで、この歴史に慣れてしまうという事態だけは避けたい。

参考記事:

8月5日 読売新聞オンライン「映画『長崎の郵便配達』、きょう公開…被爆者と元英国人の友情

8月9日 朝日新聞デジタル 「5歳児に戦争の話、トラウマにならない? 心理学者と考える平和教育