都立高校入試、スピーキング導入へ 早期化の必要性は

新型コロナウイルスの感染拡大も落ち着き、キャンパスでも留学生を見かけるようになった。移動が制限されても、ZoomやSkypeなどのWeb会議システムの普及もあり、外国との繋がりは薄れていないだろう。留学生を見かける時、「話せたらいいのにな」と感じる。小学校から大学まで、学校教育だけでも約10年も英語を勉強しているのに、話す能力はなかなか身に付かない。

日本の英語教育では、読み書きが重視されているため、話す能力が養われないというのは、しばしば聞かれる話である。その課題を克服するために、東京都教育委員会は本年度からスピーキングテストを都立高校入試に導入することを決定した。このテストは都が2018年に策定した「グローバル人材育成計画」の一環で、「使える英語力」の向上が目的とされている。学力調査及び調査書の1000点に、このテストの20点が加算されるということであるが、反対の声も多い。

共通テストの二の舞にならないか

昨年12月末に、「都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求める会」が開いた記者会見では、今回のスピーキングテストは「採点の不公平性などの理由により撤回に追い込まれた、大学入学共通テストの英語民間試験導入と同根。決して導入してはならない」と、反対の意を強く訴えている。都教委はこれに対し、スピーキングテストの事業主体は都であり、民間が主体であった共通テストとは異なるとしている。それでも、採点基準へも不透明な部分が見られ、評価の信頼性には疑問が残る。

テスト実施により、話す力が伸びなくなるのでは

文法について、ある程度の寛容さで採点をするとしているが、やはりイントネーションなど、正確さが求められる。話す力を伸ばすために、学校では「間違いを恐れず、話してみよう」と指導しているという。確かに、私自身も授業で、英語でプレゼンをする時に、事前に用意した台本を丸暗記して抑揚もなく話すより、ある程度の文法やアクセントの間違いは無視して話した方が、伝わっていると実感することが多い。しかし、入試において「正しい」英語を話さなければならないとなれば、本来のスピーキングの目標とずれても、授業方針が試験に向けたものになる可能性は大いにある。

他にも不受験者の取り扱いなど、懸念点は多い。筆者が思うことは、中学3年生にスピーキングテストを課すこと自体に必要性があるのかである。もちろん、中学生のうちから英語を話すことには意味があると思うし、客観的に能力が測られることはスキル向上に役立つと思う。しかし、逆説的なアプローチになっていないだろうか。本来は、スピーキングの授業基盤が盤石なものになり、そして不安の声が出ないよう、学校教育のみである程度の力が着くことが確認できてから、実施に踏み切るべきだろう。けれども、現状は、テストの実施によって、後追いの形で中学教育によるスピーキングスキル向上を目指すものとなっている。話す能力は、ほかの読み書きとは違い、座学でどうにかできるものではない。英語をしゃべる環境がなければ、なかなかその能力は育たない。受験対策のために、英会話に通わせる家が出てきてしまえば、家庭の経済格差が教育格差に繋がる。

共通テストの英語民間試験の活用や国語の記述式導入では、教育関係者以外にも、当事者である高校生からの反対の声も大きかった。共テでも高校入試でも、1点の違いが合否を左右するのは変わらない。都立高校入試へのスピーキング試験の導入では、対象は中学生、そして規模も東京都のみに限られている。不安の声を押し切り、このまま実施になるのならば、どの受験生にとっても公平な試験となるよう努めてほしい。

 

参考記事:

26日付朝日新聞デジタル、「都立高入試スピーキング不受験者 英語筆記同点数者の平均点を加点へ

 

参考資料:

NHK首都圏ナビ、「東京都 スピーキングテストを都立高校入試に初導入 どんな問題?

国際教育・東京ポータル、「中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)