将棋教育の可能性 負けましたが秘める力

藤井五冠のおかげで、ここ数年、将棋に関連したニュースを本当によく見るようになりました。一将棋ファンとしては嬉しい限りです。ただ、あまり報じられませんが、将棋が授業として取り入れられていることを皆さんはご存じでしょうか。

中国最大の経済都市・上海市では、60もの小中学校で将棋が教えらえています。市西部にある東遼陽中学校では、16年も前から週1回45分、新1年生を対象に授業しています。普及活動の開始からこれまでに、300近くの大学や小中学校、幼稚園などで100万人を超える子供が将棋に触れたといいます。

実は同じ16年前に、日本将棋連盟も将棋を次世代に継承する事業の一環として、学校教育課を連盟内に創設し、学校教育への将棋導入推進事業を始めました。その目的に掲げているのは、次のようなものです。

礼儀作法の習得、集中力や忍耐力、相手を思いやる気持ちなど児童・生徒の豊かな心や生きる力をはぐくむ機会を設けます。

この3つは確かに将棋を始めてから筆者自身も身についた実感しています。将棋には「礼に始まり礼に終わる」という言葉があるほど、礼を重んじます。また、次の手を考えるために盤面に向き合っている間は本当に何も聞こえなくなるほど集中します。将棋に限らず他のゲームもそうですが、相手がいないことには対局ができません。終わると、勝っても負けても対局してくれてありがとうという気持ちに心からなります。

もちろん、この3つも素晴らしいのですが、筆者自身が考えるのは少し異なります。最も身についたのは「気持ちを折りたたむ力」です。他のスポーツやゲームと圧倒的に違うところは、対局者のどちらか一方が「負けました」と言わない限り、勝ち負けが決まらないところです。将棋には一切運の要素がありません。負ければ自分の指し手が悪かった以外には理由がないので、本当に悔しいです。将棋をやったことのない人にこの悔しさを伝えるのは至難の業ですが、敢えて言うなら本気で自分のことを殴りたくなります。実際、指し手を間違えたり局面がわからなかったりした時に、プロ棋士が頭や腿をごつごつと叩いているところを画面越しに何度か見たことがあります。

これほどまでに悔しいのに自分から「負けました」というのは容易なことではありません。それでも敗勢を認めて「負けました」と深々と頭を下げ、気持ちを整理して、自分のどこが悪かったのか見直さないと強くなれません。将棋をやるとよく負けます。自分のオンライン将棋の対戦結果を見ても残念なことに618勝621敗と負け越してしまっています。これだけ負けても悔しさは少しも減ることはないし、負けることに慣れることも一切ありません。それでも初めて将棋をやった時に比べればずっと自分の気持ちを折りたたむのが上手くなりました。

現代を生きる私たちは、刻一刻世界が劇的に変わっていく超高速社会を生きています。毎日の終わりにゆっくり今日の自分を振り返ったり、気持ちを切り替えたりする機会はどんどん奪われてしまっているような気がしてなりません。「今日も一日頑張った、明日からも頑張ろう」。一人でも多くの人がこう思える社会の実現に、将棋教育は一役買ってくれると信じています。

評価値が悪くなり始める前の局面まで戻して反省(27日筆者撮影)

 

参考記事

26日付 読売新聞朝刊 17面(くらし教育) 「将棋通じ 思考力・礼儀養う」

 

参考資料

日本将棋連盟 「学校教育への将棋導入推進」

学校教育への将棋導入推進事業|将棋連盟について|日本将棋連盟 (shogi.or.jp)