ウクライナ侵攻 真実は一つじゃない

“ロシアが侵攻を続けるウクライナで多数の民間人の犠牲が明らかになり、露軍の「戦争犯罪」を追求する動きが強まっている。(中略)ロシアの責任を明確にするため、真実に迫る意義は大きい。”

 

国際刑事裁判所(ICC)がロシア軍の戦争犯罪を追及するために動き出したことを伝える読売新聞の記事の冒頭です。私は、この文章の「真実」という言葉の使われ方に関心を持ちました。

 

ICCは、集団殺害(ジェノサイド)犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪の四つを対象に、個人を国際法に基づき裁くための国際機関です。しかし、ICCは独自の警察組織を持っておらず、捜査力に欠けるほか、そもそもICC加盟国でしか逮捕する権限を持っていません。勿論、ロシアは加盟していないので、プーチン大統領を逮捕することは不可能に近いのです。

 

しかし、この記事に寄稿している元ICC裁判官の尾崎久仁子・中央大特任教授は、戦争犯罪の証拠を集め、何が起きたかを記録することが重要であると主張しています。私も同感で、たとえ直接的に干渉することが出来なくてもその捜査に意味はあると思いました。

 

そして捜査の際、重要なのは、「事実」を調査し「真実」を暴くこと。そして、「真実」という言葉の意味を理解することだと思います。

 

つい最近ドラマ化も果たし話題になった漫画、「ミステリと言う勿れ」にはこんな話が出てきます。

 

Bさんは普段からAさんにいじめられていると感じています。そんなBさんがAさんと階段でぶつかって落ち、怪我をしました。そこでの事実は「BさんがAさんと階段でぶつかって怪我をした」ことだと説明できます。

Aさんはたまたまぶつかってしまっただけなのでこの話を事故だと言い、BさんはAさんが故意にやった事件だと主張します。この場合、どちらも噓はついていないのに話が食い違ってしまうのです。

 

『真実は一つじゃない 二つや三つでもない。真実は人の数だけあるんですよ。』

 

そんな主人公のセリフを、他人との価値観の違いを感じる度に思いだします。国際関係にも同じことが言えるのではないでしょうか。

 

ウクライナの真実があれば、ロシアの真実もあります。日本や欧米諸国のようにロシア批判を続ける国がある一方で、中国やインドなどロシア寄りの対応をとる国もあります。国ごとにそれぞれの言い分があり、その対応に正解はありません。西側諸国とそれ以外の国の対立と単純化させれば理解しやすいですが、一面的な見方で終わってしまいます。同様に、最近はロシアをひとくくりにして、絶対的な悪だと見做す人が多いですが、戦争の原因を追究するには乱暴すぎるでしょう。

 

なぜ、ロシアはウクライナに侵攻したのか。当事者でない我々だからこそ、感情的にならず、考えることが出来ます。もちろん、今回の戦争は全面的にロシアに非があります。武力行使はどんな理由があっても到底容認できないことで、特に民間人への攻撃には怒りと悲しみを覚えています。

しかし、NATOの東方拡大など歴史を紐解いていくと、戦争に至った経緯には多少なりとも理解できる部分がありました。そうやって、真実を探していかなければ問題解決には至りません。

 

ただ、それは両方の言い分を聞く必要があると言うことではありません。今のロシアメディアは情報統制されており、ロシア側の主張をそのまま受け取ることに意味は全くないからです。その点、日本やアメリカなどのメディアには信頼がおけますが、その情報に偏りがないとは言えないでしょう。だからこそ、真実の解明には、国際社会における第三者の調査が不可欠です。

 

ICCの捜査が暴く「真実」には、ウクライナとロシア双方の見方が含まれていると信じています。そして私たちも、普段ニュースを見る際、情報にバイアスがかかっている可能性があることを意識するべきでしょう。

 

参考記事:

23日付 読売新聞朝刊(多摩12版)6面(解説)「露の戦争犯罪 追及へ本腰」

 

参考資料:

田村由美『ミステリと言う勿れ』小学館、2018年

テレ東BIZ 「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】(2022年2月9日) – YouTube