共感を広げて アフガンを忘れない

包丁で指を切る。最初は特になんともなかったのに、溢れる血を見た瞬間に痛みに気づく。そんな経験はないだろうか。実際に痛ましい光景を目の当たりにして、人は初めて「認識」する。逆にいえば、それまでは気に留めてさえいないこともある。

焦土と化した街並み。倒壊した建物。やまない銃撃。顔から血を流す老婆。家族の死に打ちひしがれる人々。連日、ウクライナについてのニュースが報じられる。私たちは、遠く離れた西方の街で何が起こっているか、メディアやSNSを通して目の当たりにする。そこで初めて、日本では想像がつかないほどの惨状に気づく。各地でデモが起きるなど、世界中が事態の成り行きに注目している。

ところが、ツイッターには皮肉の込められた意見もあった。「もしウクライナがムスリムの国だったら、誰も顔色一つ変えないだろう」。それを引用して今度はアンゴラ人の友人が「アフリカも同じ」とインスタグラムに載せた。

なるほど、見方が変わるとこうも変わる。たしかに、戦争は今に始まったことじゃない。はるか昔から今に至るまで起きてきた。ここまで取り上げられていなかっただけで、苦しんでいる人たちは、助けを求めている子供や女性は、ずっとそこにいた。アフガンの問題もそうだ。

 

◇アフガニスタンからの難民との出会い「親父も弟も殺された」

今年3月、スイス・チューリッヒへ行った折に、アフガニスタン人の難民とたまたま知り合った。出会ったときの彼は、昼間からウイスキーの瓶を片手に、筆者が泊まる予定だったホテルのドアの前に座り込んでいた。なにやら、友人に追い出されて行く当てがないらしい。時間があったので、街を探索しながら話に付き合うことにした。

(写真)ホテル前に座り込むアフガニスタン人

 

底抜けに明るい人だった。笑顔にまだ18歳の初々しさがある。母国を出てから数カ国を転々とし、ようやくスイスたどり着いてもう4年が経った。「もしアフガニスタンから逃亡してなかったら、僕は今この世にいないだろうね。パパと弟は国外へ逃げるのが間に合わなくて殺されちゃったから、ああなるのはちょっと勘弁かな。まあ、今はもう全然気にしてないけどね!」

家族が殺されたこと、愛する母国に戻れないことを平然な様子で話す少年の姿を自分の目で見て、心に痛みが走った。

アフガニスタン・カブールの空港で、米軍機に群がる人々の様子は、今も記憶に新しい。

イスラム主義勢力タリバンが首都を制圧した時のことだった。そして、ウクライナに世間が注目している今この瞬間にも、アフガニスタンで失われている命がある。

ニュースを見るうえで私たちが注意しなければならないことは、次々と起こる目まぐるしい事件に翻弄されないように努め、一つひとつの出来事への関心を持続することだ。一時期、「アフガン」「タリバン政権」というワードが話題になっていたものの、その後についてはスポットライトが当てられていない。新聞やテレビでは、どうしても新しく話題性のある出来事を優先して報道しがちだ。

ニュースで騒がれなくなると、やがて人は忘れてしまう。一過性のブームとして終わってしまったり、そもそもまだ世間の目を向けられていなかったり、そんな問題が世の中にはたくさんある。私たちはそのことを決して忘れないようにしなくてはならない。

彼とは今も連絡を取っている。アフガニスタンの文化について尋ねると、嬉しそうに多くのことを教えてくれた。今は逃げるしかなくても、ゆくゆくは祖国に帰ることを心から願っている。いつか平和が訪れる日を心待ちにしながらも、今はスイスでひたむきに頑張っている。

 

参考記事:

2月12日付 朝日新聞デジタル「『世界最大の人道危機に』 国連が警告、アフガン政権崩壊から半年」