「放課後になってからずっと、机から離れられずにいる。運動会準備の打ち合わせ、予定表の印刷、時間割の修正・・・。出勤して11時間近く経つのに、休憩できていない。給食は数分でかきこんだ。今日も自分の仕事ができなかった」
「毎日、勤務時間に事務仕事が終わらず、土日どちらかに出勤。体調を崩し、ゼリーしか食べられなくなった。車で帰宅する際には涙が止まらなくなった」
いずれも小学校教員の悲痛な叫びです。「子どもを励まし、人生を一緒につくる先生になりたい」。気高い理想に対し、待っていたのは過酷な現実でした。
以前Twitterでは、「#先生死ぬかも」のハッシュタグが拡散しました。その際も、「この10年で現職の教員3人を見送っている。死ぬかもじゃないんです」「残業代はゼロ。やりがい搾取だ」などの声が挙がりました。
文部科学省の2016年調査によると、小学校教員の3割、中学校教員の6割が過労死ラインと呼ばれる月80時間以上の残業をしていたことが分かりました。
なぜ長時間労働をしなければならなくなってしまったのか。その背景にはいじめやSNSトラブル、モンスターペアレントなど対応すべき課題の増加に加え、教育要領の変化などが挙げられます。事務作業は期限もあって後回しにできない。残業しても授業準備に手が回らないため、授業の組み立てを考えるのは授業を始める5分前だといいます。
筆者の周りにも、教員を志している友達がたくさんいます。しかし、このような現実を聞くと、「先生になるのはやめた方がいいんじゃない?」と、つい言ってしまいたくなります。それほど、「教員」は当人から見ても周りから見ても、働きすぎのように感じます。一方で、働かなくては回らないという教員不足の現実もあります。授業、事務仕事、保護者の対応、部活動・・・。仕事は山積みです。教員の長時間労働は「定額働かせ放題」とも呼ばれています。
「ブラック企業」という言葉がまかり通っているように、長時間労働を強いられているのは教員に限りません。仕事に苦しめられている人は大勢います。労働者が当たり前に無理なく働くことができる、このような環境は今、一体どこにあるのでしょうか。労働環境の見直しを早急に進めなければなりません。
参考記事:29日付 朝日新聞 (愛知14版 1面) 事務作業 追われる先生
(愛知13版 2面)授業以外の負担「?」の連続