見渡す限り自然の生態系を身近に感じられるビオトープ、その奥には田畑が広がっている。ここは30年前までは海の底だった。
長崎県諫早(いさはや)市。諫早湾干拓事業で堤防の内側の水が抜かれ、干し上げられた。こうして新たにできた土地では現在、畑作や酪農が営まれている。
事業はこれまで数々の紆余曲折を経ている。1989年の着工をきっかけに、湾の生態系が変化したとして漁業者が訴訟を起こした。2008年には佐賀地裁が、干拓事業と漁業被害の関連を調査するため5年間の水門の開放を命じ、10年の福岡高裁もこれを支持。自民党が進めてきた事業を「無駄な公共事業」と批判してきた当時の菅直人首相は上告せず、判決は確定した。
一方、翌11年、干拓地の入植者や長崎県農業振興公社は国を相手に開門の差し止めを求める訴訟を起こし、19年、最高裁は閉門状態の継続を認める高裁判決を支持し、確定させた。二つの相反する司法判断が出たが、結局、水門は閉ざされた状態が続く。ただ、閉門と言っても、常に閉め切っているわけではなく、有明海側への排水は時折行われているので付け加えておきたい。
営農者と漁業者とで利害が衝突する干拓事業。潮受け堤防の締め切りから既に24年が経つ。関係者は今どのような心境なのか、現地に行ってみた。
最初に出会ったのは、干拓地で野菜を栽培する男性。ここでの農業について尋ねてみると、「とにかくやりやすい」とのこと。干拓事業によって誕生した土地は約670haで、平地の少ない長崎県では貴重だ。大型機械を投入できるため、経営コストが抑えられるという。大手飲食チェーンに出荷している農家もいる。また、もともと海底だったためミネラル分が豊富で、肥料代もあまりかからない。農業に適していて、かなり満足そうな様子だった。
堤防は淡水と海水を分ける役割を果たす。淡水の調整池から水を引き、ポンプで干拓地へ送り込む。ポンプ場の職員によると、調整池からの給水システムによって、蛇口をひねればいつでも農地に水が撒かれる。また、調整池は淡水のため、有明海側から風が吹いても農作物に塩分が付着する塩害は避けられる。
長崎県農業振興公社の職員の方にもお会いできた。諫早では1989年に始まった事業の前からも干拓が進められており、過去600年間で約3500haの干拓地がつくられた。このうち2700haは平均満潮時の水位よりも低い土地にあり、かつては干拓地の脇を流れる本明川の水が時々あふれていた。57年に起きた諫早大水害では旧諫早市内の死者・行方不明者は539名、床上・床下浸水は3409戸に上った。堤防ができたことで大雨の前に調整池の水量をコントロールできるようになり、浸水被害を大きく減らせているという。
今回、筆者は干拓事業の賛成派と反対派の両方から意見を聞こうと思っていた。そこで、近隣の漁業組合に向かった。建物には自民党のポスターが貼られていた。事業を進めてきたのは自民党であり、漁業者はその不利益を被ってきたと思っていたため驚いた。既に営業時間が過ぎていたので、後日電話取材をした。すると、微妙な答えが返ってきた。「うちの中でも意見が割れてるもんで、何とも言えんとですよ」。
水門締め切りが漁獲量に与えた影響は今も争われているところだが、漁協の方いわく、水門の締め切り前から二枚貝のタイラギなどはあまり獲れなくなっており、83年ごろから牡蠣の養殖に転換する動きがあったという。その甲斐あって、現在、小長井などで生産された牡蠣は「華漣」という名前でブランド化し、全国にもその名をとどろかす。牡蠣の養殖は潮の流れが穏やかでなければならない。開門した場合は流れが変化する恐れがあり、開門に反対する漁業者もいるらしい。
「マスコミは俺たちの声を全然伝えようとしない」。今回の取材中、ある営農者の方が放った言葉だ。判決が出る時にはテレビ局や新聞社などがこぞって取材をし、この方もこれまでに12回も受けたという。ただ、取材は来ても放送されたり記事になったりすることはあまりなく、主に取り上げられるのは漁業者の声。憤りを感じているようだった。
確かにそれは一理あると思った。漁業者の抗議の声を中心に届けるあまり、あたかも漁業に関わるすべての人が干拓事業に反対しているかのような印象を与えうる。また、事業の恩恵を受けているのは営農者だけでなく、過去に水害に見舞われた地域の住民もそうだ。さらに、堤防の上は道路になっており、諫早市街地の渋滞に巻き込まれることなく小長井方面と雲仙方面を行き来できるようになった。恐らく恩恵を受けている人の方が圧倒的に多いと思われるが、その実情が世の中にどれほど伝わっているかは疑問だ。
ただ、干拓事業の賛成派の意見というのは、極めて簡単に聞くことができる。私は今回、何人もの方に話を伺い、賛成派の意見を集めたが、調べてみると長崎県の発行するパンフレットや市のホームページに全く同じことが書いてあった。県も市も干拓事業に賛成しているからだ。
一方、反対派の声にはなかなか出会えない。今回の取材では、反対派の人がいることは噂程度には聞いたが、直接話をすることはできなかった。漁協は組合員の減少によって組織が立ち行かなくなり、もともと三つあった湾内の漁協は統合された。埋もれた声はマスコミだからこそ伝えられるのではないか。現地を歩いたことで、干拓事業の在り方にとどまらず、メディアの役割を考える機会も得ることができた。
参考記事:
朝日新聞デジタル「漁業者将来見通せず 諫早2、3次訴訟敗訴」
参考資料:
国土交通省九州地方整備局長崎河川国道事務所 諫早大水害の記録
諫早市ホームページ 国営諫早湾干拓事業
長崎県農林部諫早湾干拓室パンフレット「諫早湾干拓地と周辺地域における開門調査の影響」
パンフレット「今を、未来を、なぜ崩そうとするのですか? 概要版」