「原爆の日」 被爆3世として考える

先日、久しぶりに祖母に電話をかけました。近況を話したかっただけでなく、一つ頼みたいことがあったからです。大学やアルバイト、友人の話などをした後、「ばあちゃん、今度原爆の話ば聞かせてくれん?」。少し躊躇いながら、そう伝えました。

今日8月6日は広島、3日後の9日は長崎に原爆が投下された日です。筆者には長崎で被爆した祖母がいます。毎年この時期になると平和について少なからず考えます。原爆投下から76年。被爆者の高齢化が進み、被爆体験をどう伝承していくかが大きな課題です。被爆者の方の数が減っていると同時に、特に自分と同じ若い世代の戦争や平和への意識が少しずつ薄くなってきているとも感じます。

高校生の時、友人が「被爆者は死に損ないだ」といっているのを耳にしました。毎年、平和教育を受けているのにどうしてこんなことが言えるのか。悲しくなると同時に、自分の大切な人を否定されたような気がして怒りを覚えました。さすがにここまで酷いことを言う人はそうそういないと思いますが、被爆の体験を伝えたり、平和とは何かしっかりと考えたりする機会を増やしていく必要があると思います。いま被爆者の平均年齢は約84歳です。私たちが被爆体験を直接聞ける最後の世代ではないでしょうか。彼らの声を聞き、記録して、未来に伝えていかなければいけないと思います。

と、このような偉そうなことを言っておきながら、筆者は最も身近な被爆者である祖母から原爆の話をほとんど聞いたことがありません。小学1年生の夏休みに一度だけ「ばあちゃんもヒバクシャなの?」と聞いたことがあります。いつも明るく楽しそうな祖母が、「そうだよ、戦争はダメとよ」と、とても悲しそうに話していたのを覚えています。

学校に来てくださっていた被爆者の方の中には、涙を流し、言葉を詰まらせながら語る人もいました。命の危険を脅かされることなく、平和な日本で暮らしている自分にとって、戦争の話は重たく、聞くのが辛いなと感じることがあります。実際、8月9日の登校日は、平和について考え、原爆の悲惨さについて伝えていかなければと決意する責任感と話を聞きたくないという憂鬱な気持ちが半分ずつくらいでした。

それでも今回祖母に話を聞かせて欲しいと頼んだのは、平和な世界にしていくためには自分たちが行動していくしかないと感じたからです。正直、核兵器をなくすことなどできるのかと感じてしまいます。今の自分は、心から「核なき世界」が実現できると信じること、行動することはできません。しかし、平和を願う者として、被爆3世として唯一できること、それは直接被爆体験を聞き、考えることだと思いました。

祖母は筆者の頼みに、「今度帰省したときにゆっくり話してあげる」と言ってくれました。コロナウイルスの影響で、もう少し先のことになりそうですが、しっかりと向き合い、話を聞けたらと思います。

 

 

 

参考記事:

8月6日付朝日新聞デジタル 「広島、きょう被爆76年」

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15001612.html