文学のすゝめ

皆さんは日々、なにを読んでいるだろうか。おしゃれな雑誌だろうか、小説だろうか、漫画だろうか、はたまた話のネタをゲットしようと週刊誌を手にするのであろうか。

 

どんな形であっても、本や雑誌、新聞などは私たちに何らかの情報をもたらしてくれる有益な媒体である。今日は、焦点を絞り、「近代文学」をお勧めしたい。

近代文学は、堅苦しい書かれ方であったり、設定も現代とはかけ離れていたりと、とっつきやすいものではない。確かに今の社会への直接的な繋がりは感じられずとも、そのなかでは今日にも生きている社会生活のエッセンスをくみ取ることができる。

新聞を読む人ならば、当然に知っている「天声人語」。603文字という小さな空間でありながらも、毎朝これを楽しみにしている読者もいるという、1世紀以上続く朝日新聞朝刊の人気コラムである。

毎朝、天声人語を読むなかで気づいたことがある。それは、最初の段落で何かしらの文学作品に触れてから本題に入っていくことがしばしばあるということだ。例えば、昨日4日の天声人語では安部公房の短編小説「闖入者」を使ってミャンマークーデターの問題に触れ、今日5日には大岡昇平の「野火」を枕にふって、政府が新たに打ち出した入院制限を取り上げていた。

他にも、小林多喜二の「蟹工船」は、法制度がその当時より整っている現代においても、過酷な労働問題を語る時には、現代にも通じるものがあるとして引用されることが多い。また、近年では、「プチ整形」という言葉があったり、韓国旅行のついでに手術する人が増えたりと、美容整形へのハードルが下がっているが、コンプレックスを無くそうとする葛藤など「整形」の精神的側面が語られる際には、鼻が異様に長いお坊さんを描いた芥川龍之介の「鼻」が思い出される。

学問分野では、経済学や法律学などが「社会科学」、文学や歴史学などは「人文科学」と別個のものとして括られてしまうが、このように見ていくと、「社会科学」であろうが「人文科学」であろうが、同じ話題や問題を共有していることが分かる。

時代性についても学問分野と同じことが言える。近代文学が書かれた時代は、今とは、社会システムも異なっていただろうし、例えば男女平等についてなど、人々の意識も違っていた。しかしながら、いくつかの作品を読むことで、どんなに背景が異なろうとも、どの時代にも通じる「テーマ」が存在していることが分かる。

正面から夏を楽しむというのがはばかられる状況である。普段はあまり本を読まないという人もこの機会に、昔の社会や人々と今私たちが生きる世の中との共通点を、活字の世界で見つけてみるというのはいかがでしょうか。

ちなみに、ここで挙げたような近代文学の多くは、インターネット上の「青空文庫」で閲覧することができる。

 

参考記事:

4日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面 天声人語

5日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面 天声人語