「商品には罪はない」? DHCヘイト問題について考える

 

昨年11月、大手化粧品会社DHCがウェブサイトに在日コリアンを差別する吉田嘉明会長名の文章を掲載しました。6月1日に一連の記述は削除され現在は閲覧できませんが47NEWSの記事では事の発端を以下のように説明します。

DHCが問題の文章を初めて掲載したのは昨年11月。自社の通販サイトで実施中のキャンペーンについて説明する中で、競合他社に言及し「CMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人」などと主張し、在日コリアンに対する差別的表現を持ち出して「ネットで揶揄(やゆ)されている」と記載した。

 今年4月には、この文章を批判的に報じたNHKに矛先を向ける形で内容を追記している。客観的根拠は一切示さず、NHKの「幹部・アナウンサー・社員のほとんど」「出演者の学者・芸能人・スポーツ選手の多く」「街角インタビュー(の対象者)」すらも「コリアン系だ」と断定。「NHKは日本の敵です。つぶしましょう」と扇動するような記述もあった。

 文章はその後さらに付け加えられ、吉田会長は国会議員、弁護士、裁判官、官僚、経団連会員企業などの大半が「コリアン系で占められている」と主張を拡大した。

この文章はSNS上で拡散され、日が経つにつれ批判の声があがりました。筆者もTwitterでハッシュタグを用いて不買運動を呼びかける人を何人も見かけました。

昨日の日本経済新聞朝刊ではこの人種差別発言に対してビジネスの視点から問題提起をしています。文中の表現が人権侵害にあたるとSNS上で批判が高まったにもかかわらず、商品を取り扱う企業の多くは静観していたことについてです。6月にイオンが反対声明を出しましたが、DHC商品を仕入れ販売する小売企業のほとんどは沈黙を貫いていました。

記事では小売企業関係者の発言が紹介されており、「文章が人権尊重の考え方に反すると理解していた」けれども、「売り上げの大きさが悩ましい」ため、商品を棚から撤去するなどの対応がためらわれたと書かれています。

筆者はこの発言を知った時、芸能人が覚せい剤を使用して逮捕された後に見られる作品自粛の動きと似ているなと感じました。「作品には罪はない」というフレーズが話題になったのと同じように、小売企業の関係者も頭の片隅で「商品には罪はない」と考えているのではないでしょうか。

麻薬取締法違反の罪でピエール瀧さんが起訴された2019年、朝日新聞は「作品には罪はない」論争について多田憲之さん(東映社長)の意見を紹介しています。

ピエール瀧被告が出演する作品を公開するかどうか、配給会社として判断を迫られました。(中略) 私個人としては、十把一絡げに公開中止や配信停止の動きが広がっている最近の風潮に、違和感を覚えます。何十人もの俳優さんやスタッフが長い年月をかけて作り上げた作品が、その中の1人のせいで没になる。さらに過去の作品までもが自粛となる。江戸時代の五人組や戦時中の隣組のような、連帯責任と相互監視のようなものを連想してしまいます。例えば部員1人の不祥事により、高校野球のチームが出場辞退することがあります。チーム全員でたばこを吸ったとか、酒を飲んだというならともかく、ムラ社会的な窮屈さを感じます。

では今回のDHCの問題と「作品と犯罪は別だ」という論争はどう異なるのでしょうか。筆者は直接の被害者の有無にあると考えます。芸能人の覚せい剤やコカインの使用は、当人の心や体をボロボロにし、人生を台無しにする危険が伴い、社会の平穏を損なう犯罪ですが、現実に他人を傷つけた訳ではありません。多田さんの意見の中に出てくる高校野球の不祥事、つまり未成年の喫煙や飲酒も同じです。しかし、DHCの一連の発言は人種差別であり、在日コリアンの人格を直接傷つけるものでした。

さきに紹介した日経の記事は、「『沈黙は金』は人権には通用しない」というオウルズコンサルティンググループの羽生田慶介代表の言葉で締めくくっています。「商品を撤去せずとも、注意喚起したり自らの態度を表明したりと選択肢はある」とも指摘しています。DHC問題について静観していた企業には、「商品には罪はない」という考えが根底にあるのであれば考え直してほしいと思います。

 

参考記事:

8月2日日本経済新聞朝刊ビジネス面(東京12版)「人権尊重、企業は本気か DHCの不適切文書に批判 売れ筋理由に小売りは沈黙」

47NEWS「DHCヘイト問題に透ける「企業の無責任」 取引先の曖昧対応、「人権尊重」も具体策示さず

2019年4月11日朝日新聞オピニオン面「(耕論)作品には罪はない? 多田憲之さん、尾木直樹さん、碓井真史さん」

 

参考資料:

大阪府警ホームページ