コロナ禍で求められる「体験」とは?

アルバイト帰りに郵便ポストから夕刊を取って見ると、ロボットの記事が目に留まりました。最近では、「軍事用」「配達用」「組み立て用」などではなく、家庭用ロボットなるものが人気だそうです。筆者自身も最近、この記事で紹介されている「Romi(ロミィ)」というロボットをテレビで見ました。

「アイボ」や「アシモ」など、一世代前のロボットは生きているかのように動くことで、大変にもてはやされました。しかし、最近売り出し中のロボットを見ていると、そうではないようです。「Romi」「ラボット」「ニコボ」などなど、沢山の家庭用ロボットがありますが、共通点は人間の言葉への対応と個性です。つまり、「動き」ではなく、そこから感じられる「人間味」が重要なのです。なかなか人と会えないコロナ禍だからこそ人気になっているということでしょう。

人間味を感じられる工夫が凝らされているとはいっても、やはり人間同士のコミュニケーションには到底及ばないと思います。

では、なぜZoomなどリモートでの通信システムが整い、会わなくとも気軽に話すことができるのに、人々はロボットと会話しようとするのでしょうか。もちろん、「かわいいから」や「ロボットとお話してみたい」という好奇心の要素はあると思いますが、「実際に目の前にいてくれること」という物理的要因も大きいのではないのでしょうか。

自粛を求められる日々がいつまでも続きます。誰もが一度は外出をあきらめたことがあると思います。実際、筆者も大学の全授業がオンラインになり、ほとんど家から出なくなった期間がありました。現在、いくつかの対面授業を受けてみて、様々な点でオンラインよりも圧倒的に優っていると感じます。

「百聞は一見に如かず」。生の体験はそれだけでインパクトがあるものです。とりわけ直接目で見たり、手で触れたりする機会を多く提供してくれる東京の特性を考えると、ずっと家にいるのはもったいないと感じます。ですが、ここでいう「生の体験」とは「演劇は生に限る」というような、きちんとしたものでなくともいいはずです。「会話を交わすこと」や「外の空気に触れること」、そんなことも立派な生の体験ではないのでしょうか。

最近はそんな身近なことでさえ、気軽にそして、頻繁にはできません。きっと、時が来るのを待つことが、私たちができる全てなのでしょう。「自分自身がどれだけポジティブな気持ちでいられるか」ということがきわめて大切だと思います。

 

参考記事:

19日付 朝日新聞夕刊(東京4版)1面「家庭用ロボ きゅんです」