コロナワクチン、それは精神安定剤になり得るのか

コロナワクチンが輸入され、お年寄りや医療従事者を中心にワクチン接種が進んでいる。とはいっても、アメリカなどに比べれば進捗度は芳しくなく、日本は「ワクチン後進国」といえるだろう。

私の祖母も例にもれず、1回目のワクチン接種を終えたと母から聞いた。ニュースでも見るように、ファイザー製はとくに高い効果を持つというので、90歳近い祖母がワクチンを打てたと聞いて、とてもほっとしている。

しかし、先ほども述べたようにも日本はワクチン接種においては遅れている。この現実を直視せずに、ワクチンが登場したとばかりに、間違った安堵感にとらわれてはいないだろうか。現に私もそのような思いを抱いてしまう事を否定できない。

ワクチン接種が今のペースのままでは、完了までには多大な時間を要する。筆者のような若者に順番が回ってくるのは、最後の最後であろう。自分自身が恩恵を受けられるのはまだまだ先であるのは容易に理解できる。これに加えて、従来株から変異株に置き換わっていることも考えると、日本におけるコロナの現状は全く良くなっていないというほかない。

にもかかわらず、去年の今頃に比べて人々が開放的になっているように感じる。確かに映画館などの施設の多くは休業をしているし、飲食店も時短営業を余儀なくされている。けれども、通学中も駅には沢山の人がおり、大学に着けばまるでコロナ前かと思うような振る舞いをする人も見かける。

日別の感染者数を見る限り、状況は悪化の一途を辿っている。そのなかで、以前とは何が違うのか。単に長引く自粛疲れへの反動も考えられるが、ワクチンが日本に届いた影響は大きいだろう。ニュース番組では、しばしば接種が進む国で人々がマスクを外して食事などを楽しむ姿が放送され、それを見た我々はコロナに勝ったのだと勘違いしてしまう。そんな反応が多くの人の頭の中で起こっているのだと筆者は感じる。

正直な話、筆者も大学生活をこれ以上自室のパソコンの前で無駄にしたくない。もっと人との関わりを持ちたいと思うし、ワクチンが来たことで、そうした気持ちを正当化したくもなる。しかし、そうすることは、結局のところ、自分たちの首を絞めることでしかない。

今一番有効なことは、自分のなかにある甘えをぐっとこらえることなのだろう。

 

参考記事:

23日付 読売新聞朝刊(東京14版)1面「配送7月4日までに 高齢者ワクチン 全市区町村へ」