昨日、何気なく立ち寄った輸入食品店でチーズを手に取り、将来これがいくらになるのか、大きな政治判断ながらも、そんな身近なこと考えさせる出来事でした。道のりは険しいようですが、果たして合意には至るのでしょうか。今日はTPP合意見送りについて考えてみたいと思います。
日本時間8月1日、環太平洋経済連携協定(TPP)は目標としていた大筋合意に至らず閉幕しました。バイオ医薬品のデータ保護期間で12年を主張する米国と5年以下を主張する新興国とで隔たりがあり、7~8年で歩み寄りが見られましたが、交換条件として、ニュージーランドが同国産の乳製品の輸入枠大幅拡大を要求し、全体での合意には至りませんでした。日本と米国では、コメの7万トンの輸入枠を設け、日本製自動車部品の5割超で関税の即時撤廃で決議目前、オーストラリアとは牛肉や麦の輸入拡大、カナダとは工業部品の市場開放で決議にメドがつきました。農業分野での市場開放に国内の農業関係者の反発が予想されます。
一個人としての理想ではありますが、関税などというものは全て撤廃され、世界中のものを安く手に入れたいというのが本音です。日本を含めた世界中の国々がグローバルな市場での経済の自由化を進めようとしていますが、それはあくまで建前で、本当の意味で経済の自由化というものは達成されないのではないでしょうか。TPPは環太平洋地域での経済活動をスムーズに、言ってしまえば自由化を進めることが見奥的でしょう。しかし、ご覧の通り、今回のTPP交渉は条件面で折り合いがつきませんでした。自由化を目指す交渉のテーブルに着いておきながら、各国は輸出したい品目は自由化を主張し、輸入したくない品目は自由化に抵抗するという有様です。
貿易とは国益に関わります。どうしても、自国に品目への関税は高くしておきたいというのが本音なのでしょう。技術立国として、機械製品を世界中に売り込みたいという側面を持ちながらも、現政権としても票田である農業関係者の意向に配慮するのも無理はありません。貿易交渉にはこのようなジレンマが存在し、今回の結果は、このジレンマを乗り越えられなかったという見方もできるのではないでしょうか。しかし、交渉や会議は結果を一つのかたちにするのが目的ではないでしょうか。筆者は大学に入学する前後からTPPについて耳にしてきました。それが大学を卒業するまであと8か月となった今日になっても、施行どころか合意にすら至らず、先送りの状態が続いているというのは、会議や交渉の悪い見本にしか見えません。議論が紛糾することをTPPと呼ぶ友人も出てきました。先ほど述べたように一つの結果を出すのが会議の目的です。決裂というかたちも選択肢に入れてみてもいいのではとも感じています。合意ありきで会議を進めていては、合意先送りが何度も繰り返され、時間を浪費するだけでしょう。
「会議は踊る、されど進まず」、この言葉が現在のTPP交渉の有様をよく示してくれるのではないでしょうか。1814年から1815年にかけて開かれたウイーン会議において、ナポレオン戦争後の国際秩序を形成すべく、ヨーロッパの列強が集結したものの、利害関係が対立したため会議自体は遅々として進まず、舞踏会や晩さん会三昧であったことを皮肉った言葉です。交渉を担当している方々は踊る暇どころか寝る間もないでしょうが、この会議が進まない様をウイーン会議と瓜二つと言っても過言ではないでしょう。会議が進み、合意記念のダンスパーティーや晩さん会が開かれる日を筆者は心待ちにしています。
参考記事:2日付、1日付(東京14版) 各紙関連面