朝日新聞朝刊、オピニオン面のコーナー「論の芽」。今朝のテーマは「『ありのままの姿』って」でした。白髪を隠さないグレーヘアなど、「ありのままの姿が美しい」というムードが広がっているが、自分は踏み切れない。そんなわだかまりについて様々な方の意見がまとめられていました。
この記事を読んで思い出したのは、着る服に悩んでいた友人との会話でした。「これ着てもいいと思う?こんな脚の太さでこの丈のスカートはきついかな。」と聞く彼女に対して、「着たいと思ってるなら着ればいいんじゃない」と答えましたが、返ってきたのは次の言葉でした。
「そういう真面目な感じの意見はいらないんだよね、この脚でこのスカートを穿いている姿に対する率直な意見が欲しい」
何を言うべきか迷いました。これからは多様な美を認めていこう、というムーブメントには賛成していたからです。メディアや広告で作られた「美しい女性像」の後押しはしたくありませんでした。「私の意見なんて気にせずに着たいものを着れば良い」「私がその太さだったらその丈のスカートも着る」「世間一般的には大丈夫」。あれこれと考え、結局、私が「美しい」と感じる基準にあてはめて感想を伝えました。
彼女の気持ちもとても理解できました。私も、着たい服があっても「周りにこう思われたら嫌だな」と着るのを躊躇することはあります。「多様な美」に賛成しながらも踏み出せないことに、後ろめたさを感じることもありました。他人の正直な感想が自分に直接伝わることなどほとんどありませんが、それでも、心の中でネガティブな印象を持たれることを恐れています。
価値観の問題というより「一人一人が自分の考えを大事にのびのびと生きていけるか」という社会の問題だ。
この「もやもや」への納得できる回答は、コーナー読者のある男性の指摘でした。自分が好きだと思うもの、身に付けたいと思うもの、表現したいと思うもの。「私はこれを大事にしている」と誰もが自信を持って言える社会を作ることが大切なのではないか。堂々と表現していることに対して、誰もがそれを認めるような雰囲気を作っていくべきではないか。こうした雰囲気は、美しさの問題だけでなく、ほかの問題の解決にもつながるでしょう。
次に友人から意見を求められたら、「あなたが着たいと思うなら着れば良いし、まだこの体型では着たくないと思うのなら着なければ良い。自分の美しいと思うものを信じていいと思う」と力強く背中を押せたらいいなと思います。
参考記事:
13日付 朝日新聞朝刊(愛知13版)13面(オピニオン) 「『ありのままの姿』って」