過激な政見放送とどう向き合うか

 YouTubeで「政見放送」と打ち込むと一番上に表示される予測変換が何かご存知だろうか。正解は「政見放送 面白い」である。

 衆院選、参院選、都道府県知事選の立候補者がその政治信条を真面目に発表する放送など、本来、面白さとは無縁のはずだ。しかし、近年、「面白い」政見放送が増えているのである。

 その背景の一つとして、YouTubeなどの動画投稿サイトでの収益化が可能になったことがあげられる。かつては、「イロモノ」候補として選挙に立ち、奇抜な政見放送をしたところで利益は見込めなかった。せいぜい公共の電波を使って悪目立ちすることぐらいだ。しかし、近年は政見放送で過激な発言や奇抜な行為をすれば、ネット上で話題となる。そして、知名度が上がり、一躍、有名ユーチューバーに仲間入りができるのである。そうなれば、投稿動画の再生回数で収入が得られ、供託金以上の実入りがあるかもしれない。その為、パンイチで踊ったり、不謹慎な発言を連発したりする「面白い」政見放送が増えてきているのだ。

 では、私たち有権者は過激な政見放送とどう向き合っていくべきなのか。私は、「ノリつつシラケる」姿勢で受け入れていくべきだと考える。

 つまり、過激な政見放送を面白いとノリつつも「またやってるよ」とどこかで小馬鹿にしながらシラけている。そんな斜に構えた姿勢である。「シラける」ことで、イロモノ候補として認識でき、肝心の投票の際は冷静な判断ができる。

 「あんな下品な政見放送は規制すべきだ」との意見もわかる。だが、「品がないから」という理由だけで規制すれば、表現の自由の制限につながりかねない。自分の首を絞めることになる。やはり、「公共の福祉に反しない」、つまり、「他人の人権を侵害しない」限り法律で抑えるわけにはいかない。

 だからといって、手放しで受け入れると、相手のペースに乗せられてしまい危うい。面白いと思ってもあくまでネタとして受け入れる。そんな「ノリつつシラケる」姿勢で、増え続ける過激な政見放送と付き合っていってはどうか。

参考記事:

18日付読売新聞朝刊(大阪13版)11面「ニュースの門 過激化する政見放送 ワケあり」