妄想で気づいた、社会にはびこるジェンダー規範

先日、高校時代の友人6人に会う機会がありました。私は一年間浪人をしているので、友人の多くが社会人1年目です。働き始めて半年が過ぎ、それぞれの近況報告に花が咲きました。

「土曜の夜から、仕事のことで憂鬱になる」「家に帰ったらすぐに寝てしまう」と仕事を覚えることで一苦労のようです。

また、数年後の将来についても話が及びました。「もし結婚して、子どもを育てるとなったら、今の生活のどのすき間に子育てを入れるのか。そんな余裕はない」。忙しい毎日を送っている友人が断言しました。一方で、比較的仕事にゆとりのある友人は、「将来結婚して専業主婦になろうと思っていたけれど、仕事をはじめて考えが変わった。働き続けたい」と言っていました。会ったのは全員女性で、職種もバラバラ。働く環境によって、考えがこうも変わるのかと驚きました。

それ以来、私も将来について考えるようになりました。「働き始めて、家庭を持って、子育てをすることになったら」と妄想が膨らみます。すると仕事以外のプライベートについて考えれば考えるほど、既存の「ジェンダー規範」にぶち当たることに気が付きました。

私は、結婚や出産というライフイベントがあったとしても、働き続けたいと考えています。パートナーがいるのなら、育児は分担をすることになるだろうと思いながら、今朝、朝日新聞デジタルで配信されていたオンラインイベント「父親とジェンダー 子育て記者が感じた『モヤモヤ』の正体」を見ました。

オンラインイベント登壇者の著書。先日購入し、読み進めている。2020年11月12日撮影。

内容は、子育てをする男性記者とジェンダー問題に詳しいジャーナリストとの対談でした。そこで紹介されていたのは、子育てをするお父さんのもやもやです。そもそも、男性は育休を取得しづらい現状があること。公園に子どもを連れていったら「お仕事お休みですか?」と声をかけられること。不審者だと思われて警備員に声をかけられたこと。これらは、子育てをする男性が少ないからで、その根底には、「男は仕事、女は家庭」というジェンダー規範があります。

私の父は、仕事人間でしたが、たまに幼い頃の私と二人で出かけると、おむつの交換台が男子トイレになく、困ったそうです。男性が子育てをするという意識が世の中に浸透していない一例でしたが、遠い過去の話といえるでしょうか。女性が働きやすい世の中になったのは事実かもしれませんが、男性が子育てをするという意識が浸透していないことには違和感を抱きます。

私は、専業主婦の母に育てられました。母は結婚後に退社してから、正社員になることはありませんでした。そんな母のアドバイスは、いったん離職してからも働くことができるように在学中に資格を取得することです。そこで4年かけて司書の資格を取得しました。私は強く惹かれた記者を目指しつづけ、来年からは念願の取材現場に足を踏み入れますが、司書の資格取得で得た知識は生きることでしょう。

新聞社も採用全体の半分は女性という時代です。おかげで自分の希望通りの職を選択することができました。とはいえ、管理職のほとんどが男性なのも事実。数十年前だったら、今よりもチャンスは少なかったはずです。

結婚するのか、子どもを生むのか―。将来どんな選択をするのかは、全く想像つきません。ですが、その都度考えられるすべての可能性に向き合い、選ぶことが大切なのかなと思います。ジェンダー規範をなくすことは簡単にはできないものの、社会の慣習や自分の親がそうだったからといった消極的な理由ではなく、パートナーと相談したり、自分で考えたりして、進む道を決めるようと考えています。

参考記事;

11日17:00朝日新聞デジタル「男に3回なら女には10回 治部れんげさんの性差克服論」