【特集】差別のもとをたぐっていけば

2020年5月25日。アメリカ・ミネソタ州。

I can’t breathe.(息ができない)

首を押さえつける警察官に、黒人男性は訴えたといいます。ですが、声はついに届かず。ジョージ・フロイド氏が亡くなりました。警察官による黒人暴行死事件をきっかけに、世界に反人種差別運動が広がっています。

人種差別による理不尽な事件のニュース。心が痛みます。ですが、この話題に触れてよいのだろうか。躊躇する自分がいつもいます。なぜなら、どこか「人種差別」は自分から遠いものだと思っていたからです。

しかし、ゼミで差別について学ぶようになり、考えが変わりつつあります。

差別をしようと思ってする人はほとんどいません。

ゼミの先生の言葉です。先入観や、歴史、日々の生活で生まれた価値観から出た何気ない一言で、差別の被害者にも加害者にもなるかもしれない。そう思うようになると、遠いと思っていた「差別」を考えるヒントが浮かび上がってきました。本日は、私の体験談を踏まえて、「人種差別」に向き合いたいと思います。

《「ハーフ」と言われた幼少期》

「お父さんって外国の人?」
赤ん坊の私を見た街の人に、母は遠慮げによく声を掛けられたそうです。聞きづらそうにしている様子が不思議だったといいます。「別に外国人でもよいじゃないか」と。

それから約20年。このように声を掛けられることはほぼ無くなりました。当たり前です。父は日本人ですし、たどれる範囲で家系に外国人はいません。それでも、ごくまれに「もしかしてハーフ?」と聞かれることがあります。やはり、どこか遠慮げに。

「ハーフ」と間違われるのは、決して不快なことではありませんでした。むしろプラスの意味で捉えていました。しかし、そう思えるのは当事者ではないからだと気付いたのは最近のことです。

調べてみると、「ハーフ」は「日本人として半人前だ」と言われているようで嫌だ、近年出てきた「ダブル」という表現も、日本だけで生まれ育った人は重荷に感じるなどの意見がありました。「日本人」だと思っているのに、「ハーフ」「ダブル」とカテゴライズされる現状に苦悩する人が多くいたのです。

「純ジャパ」「ハーフ」「クウォーター」。悪気なく使っている言葉で、傷つく人の存在を私たちは知らねばなりません。そもそも、このような概念などない方がよいのかもしれません。しかしながら、定着した考えをなくすのは本当に難しい。それならば、関西人が当たり前のように「日本人であり関西人」という意味合いを持つように、ただ「ハーフ」というのではなく「日本人でありハーフ」というニュアンスであることを、当事者が安心して認識出来る社会を目指すべきだと思います。

これらのカテゴライズは、「白人」「黒人」「黄色人種」と分けて考える状況にも似ているように感じます。そして、これは海の向こうの話ではありません。私達も無意識のうちに「外人」「黒人」のように分けて考えてはいないでしょうか。もう1つは、肌の色で判断してしまったときのお話です。

《優しい2人の黒人男性》

ある日、電車に乗っていたときのこと。
私の斜め前には、2人の体格の良い黒人男性が座っていました。そこに、1人の年配の男性が乗車。ですが、空いている席はありません。男性は、黒人男性たちの前で立つことにしたようです。すると、前の黒人男性がそわそわ男性の方を時折見ながら、動き出します。その状況が数分続きました。

ただならぬ気配を感じ、私、年配の男性を含め立っていた乗客はじりじりとその場から離れようとしました。それを見ると、急に黒人男性が立ち上がり、男性に向かって席を譲ったのです。ずっとそわそわしていたのも、どうやって譲れば良いのか考えていたからのようでした。

心温まる展開にほっこりする反面、黒人だからと怖がってしまった自分が恥ずかしくなりました。肌の色なんて関係ない。そう思っていましたが、知らず知らずのうちに先入観に縛られていたのです。無意識って怖い。そう思った出来事でした。

《これから目指す社会とは》

人種差別の歴史はあまりにも長すぎました。そしてその歴史を消すことは出来ません。人種差別とまではいかずとも、肌の色など外見のステレオタイプに左右されないようにするのも簡単な話ではありません。ですが、徐々に変えていくことは出来るはずです。現に、今回のデモの特徴は白人が多いことです。米オレゴン大のマイケル・ハメスガルシア教授(人種民族学)は次のように分析します。

多様性に触れて育った若い世代の白人は、非白人への共感能力がより高い。

依然として人種差別が根強くある一方で、時代遅れの考えだと捉える人も増えてきているのです。

グローバル化が進む今、日本も様々な生まれ、肌の色を持つ人が増えていきます。日本人であり黒人である人も、日本人と変わらぬ見た目でアメリカ人の人も、そして日本人でもありフランス人でもある人も。もう「ハーフ」「クウォーター」「ダブル」「白人」「黒人」などとカテゴライズする時代は終わりにするべきです。

誰もが、出生、肌の色にとらわれない社会へ。まだまだ道のりは長いです。まずは、1人1人が他人事だと思わずに「差別」について考える。実態を知る。そして、自身の経験を振り返る。遠い話のようでも、少しは引っかかることがあるはずです。その気付きを積み重ねれば、差別は少しずつなくなっていくのではないでしょうか。これが、今の私の結論です。

痛ましい事件を経て、どう世の中が変わっていくのか。これからも、見守り、考え続けたいと思います。

 

参考記事:

6月27日付 読売新聞朝刊(東京13版)7面(国際)「黒人男性死亡1か月 米デモ 白人も支持 若者中心 参加者の4割」

2016年11月5日 朝日新聞DIGITAL「(ジャーナルM)『ハーフ』に先入観、持ってない?」

2015年9月4日  朝日新聞DIGITAL「こちら人権情報局 『ハーフ』をめぐる差別と幻想(上)」

読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞 米デモ関連記事

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