「怒り」を学ぶ

今年度からあらたにす編集部のスタッフとなり、4月から毎日自宅に朝日、読売、日経新聞の3紙が届くようになりました。これだけの紙面を読みはじめると、様々な人の「怒り」を目にするようになります。

4月23日付の朝日新聞朝刊の社説で、辺野古問題についてこう書かれていました。

安倍首相は先週17日の記者会見でこう語っていた。「ウイルスとの闘いを乗り切るためには、何よりも、国民の皆様との一体感が大切です」

だが自らが沖縄でやっているのは、対立と分断を深め、県民の生命と健康を守ることに全力を傾注しなければならない地元自治体に、無用の負荷と圧力をかけるという信じ難い行いだ。

4月17日付の朝日新聞朝刊でも、検察官の定年引上げ問題について、

「コロナ感染症対策に全力を尽くすべきさなかに、火事場泥棒的に押し通そうなど断じて許されない」

「首相を逮捕するかもしれない機関に、首相官邸が介入するとは、法治国家としての破壊行為だ」

と激しく批判する議員の声が書かれていました。

他にも、コロナ禍で弱い立場に置かれる人。会社の上層部の行う不正義を告発する人。ニュースを見ると理不尽なことに「怒り」の感情を持つ人は、自分が思っているより、もっともっとたくさんいるということに気づくようになりました。

私は普段、そうした感情に耳を傾けることはできていないように思います。こういう人たちがいるんだ、で終わり、自分ができることは何か、ということまで考えたことは少なかったように思います。難しい問題であればあるほど理解するのにエネルギーを要しますし、どこか他人事、遠くの人の話という意識があるのでしょう。

 

心に残っている言葉があります。

「大学の役割は不正義に対する怒りを教えることである」

これは、ノーベル平和賞を受賞したデニ・ムクウェゲ医師の言葉です。彼は、平和と正義、女性の権利を世界に訴え続けています。コンゴ民主主義共和国で、人間の尊厳を踏みにじられる性暴力被害に遭った女性たちの惨状を目の当たりにし、彼女らを心身共に支援してきました。

この世界にある誰かの「怒り」「悲しみ」を知り続け、自分の思いも発信し続ける姿勢が大事だと、この言葉を聞いて改めて強く思ったのを覚えています。誰かの感じている理不尽なことへの「怒り」はどこかで自分とつながっていることが少なくありません。弱い立場の人たちを無視するような社会の空気は、最終的に民主主義の崩壊を招くことだってあるでしょう。

 

辺野古問題の社説を読んだとき、以前見た、「こんな強行、民主国家といえるのか」とインタビューに答える県民の方、表明する反対の民意も虚しく美しい海に土砂が投入されるのを見て目に涙を浮かべる県民の姿が脳裏に浮かびました。今県民の人たちはどんな思いをしているのか、2018年末の辺野古への土砂投入から1年の間、思いを馳せずにいた自分に気づき、申し訳ない気持ちになりました。私はまだ、辺野古問題において何が正義で何が不正義なのか、判断がつかない状態ですが、問題を知ろうとし続ける姿勢は大事にしていきたいです。

家にいる時間も増えました。頭の隅に行ってしまった、今まで知った「怒り」も思い起こして、勉強してみようと思います。

 

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