【特集】3.11の教訓、有事の時に生かせるのか

〈9年前の記憶があいまいな理由〉

2011年3月11日の記憶が年々あいまいになっています。私は当時、父の仕事の都合で静岡県沼津市に住んでいました。中学1年生でした。

14時46分。記憶では、教室で社会科の授業を受けていたかと。大きな揺れで机の下に潜り、いつもの地震とは違うのではないかと頭によぎりました。教室のテレビをつけて震源地が東北だと知りました。不安のあまり泣いている子もいたかと思います。集団下校をし、家でテレビを食い入るように見ました。

記憶があいまいになっているのは、大きな被害を受けなかったからです。揺れは震度4でしたし、東京のように帰宅困難にもなりませんでした。テレビや新聞は、東北や東京のことばかりでしたが、あくまで遠くでの話。私は普通の生活を送り続けていました。

今朝の朝日新聞の朝刊にコロナウイルスの一連の騒動について、次の記述がありました。

東日本大震災での原発事故発生時に事故対応マニュアルが機能せず、事故をより甚大に広げた痛恨の経験をしたからこそ、あらゆる危機に備えたマニュアルと覚悟を持って当然のはずではないか。(中略)甚大な災害を経験した国家ならではの沈着冷静な危機管理を示してほしかった

はっとしました。もしまた、東日本大震災級の地震や津波が起きた時に、本当にあの日の教訓が生かされるのか不安に駆られたのです。

 

〈沼津に津波が来たら逃げられるのだろうか…〉

中学の3年間を過ごした沼津市は青春が詰まった場所です。そんな大好きな街が、大好きな人たちが、津波に襲われないのだろうか。市の津波ハザードマップを見てみました。

海から近い市立第二小学校には、地震発生から20分で2メートル、つまり1階の軒下まで浸水する程度の津波がくるそうです。

こんなところに小学校があっていいのだろうかと、先ほど沼津市役所の危機管理課に問い合わせました。「移転の計画などはない」とのことでした。そもそもこのハザードマップの想定を上回る津波がきてもおかしくないと思いますが、1000年に一度の津波を想定しているそうです。地震発生から10分以内に津波が到達してしまうところもあることから、地震発生直後の行動を間違えると命を落としかねません。日頃から地震が起きたときにどうするのか、確認が必要です。

担当者は、「防災教育を学校や企業にしている」と言っていました。市役所の人がそうはいっても、現場レベルがどこまで本気でやっているのか疑問に思いました。震災前から海が近いため、避難訓練が頻繁にありましたが、ただこなすだけのものでした。中にはふざけて話しながら参加していた人もいました。

震災後、私自身は被災地に足を運んだ経験もあることから、もし今も沼津に住んでいたら、本気で訓練に取り組むと思います。ですが、多くの市民は、地震や津波への意識が低いままだと思います。それどころか、9年たった今は震災を知らない子たちもいます。彼らに悲惨さを伝え、真剣に取り組むように促すことは簡単ではないでしょう。

2011年3月11日の教訓が生かされないのではないかと、ますます不安に駆られます。果たしてどうしたらいいのか、3月11日に宮城県に行って私なりの答えを出しました。

 

〈今年の3月11日は宮城・女川で迎える〉

先々週の3月10日から15日まで宮城県を訪れていました。仙台市で生まれ育った、あらたにすスタッフでもある猪股修平さんに、社会人になったら地元を離れるからと、案内してもらいました。

被災地をまわり、遺族の方からお話を聞く機会がありました。一番印象に残っているのは、「自分の命は自分で守るんだよ」。津波で息子を亡くしたご夫婦からうかがった言葉です。命の大切さを学びました。話してくださった内容はもちろん、その姿からも学びました。伝えたいあまり早口になる様子。ときには言葉が詰まったり、目を潤ましたり。息子への愛と無念さと葛藤と…言葉にはできない何かを感じました。私はただまっすぐに見つめるしかありませんでした。もう繰り返してはならないと思いました。

14時46分は、宮城県女川町にある震災遺構「女川交番」の近くで迎えました。津波で横倒しになった交番が今もそのまま残っています。9年という時間は短いようで長いと実感したことがありました。女川交番を見学しているときに、「これ、何?」とお父さんに聞いている男の子がいたのです。小学校低学年くらいかと思います。その子にとっては、震災は生まれる前の話。伝え続けなければいけないと思いました。

東日本大震災遺構「旧女川交番」写真左が基礎部分。むき出しになっている。11日、筆者友人撮影。

東日本大震災遺構「旧女川交番」奥から撮影したもの。使われていた固定電話や畳などが見える。11日、筆者友人撮影。

 

東北に足を運ぶのは、4度目です。まだまだ回数は少ないのですが、人に会い、目で見て、話を聞くと、当時の記憶があいまいになっている私でも心を動かされます。繰り返したくないとハザードマップを見て、沼津市役所に電話もしたのも、この体験からです。

被災地に行ってみたいと思いつつも、訪れたことのない人は、ぜひ足を運んでください。数時間後、明日、明後日…いつ起こるかわからない災害に対して、一人ひとりの意識を高めていかないと、9年前の教訓が生かされない。また大災害が起きた後に、結局教訓が生かされなかった、と言われることのないよう、個々人の行動が欠かせません。

参考記事:
24日付 朝日新聞朝刊(13版)13面(オピニオン)「真山仁のPerspectives:視点 脆弱な危機管理 さらけ出した安倍政権」

参考資料:
沼津市「地震・津波ハザードマップ」

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