新聞記事自動作成機

人間とコンピュータのどちらが優れているのかという命題は、全世界様々な分野で議論されてきました。4月の将棋電王戦FINALでは、将棋ソフト「AWAKE」とプロ棋士・阿久津主税八段の対局が話題を呼びました。20手目にAWAKEが△2八角を打ったことで勝ち目がなくなってしまったAWAKEの開発者・巨瀬亮一さんが投了を告げるというスピード決着でした。プログラムの穴を利用した「ハメ手」によりプロ棋士に軍配が上がりましたが、この裏技を使わなかったらプロ棋士側の勝率は「一割あるかないか」だったといわれています。

ソフトと人間のせめぎ合いは、将棋の盤上だけにとどまりません。しかしながら多くの場合、ソフト開発の動機は人間にできない仕事をコンピュータに補完してもらうことでした。人間にはとても真似できない圧倒的な記憶容量と計算速度を持ち、そして人間にとって代わることで人件費の大幅削減が可能です。そして近年、ソフトとの付き合い方の問題はアメリカを中心にジャーナリズムの世界でも大きな潮流を起こしています。

ノースカロライナ州に本社を置く「オートメイティド・インサイツ」社は、データさえ入力すれば自動でニュース記事を作成してくれるソフト「ワードスミス」を開発しました。3年前からAP通信で採用され、実績を重ねています。同社のロビー・アレンCEOは「ソフトは、くだけた表現からかしこまった文章まで千差万別に対応できる」と自信を見せました。そもそもこのソフトが開発された背景には、アメリカの新聞社の経営難があります。ネットメディアの台頭などで広告収入が減り、全米で5万人を越えていた記者の数はここ10年間で1万7000人以上減少し、2014年には約3万6700人になってしまいました。3人にひとりがいなくなった計算になります。記者数が慢性的に不足する中、ソフトが短時間で多くの原稿を仕上げることによって、重要な記事に十分な人員を割けるようになる強みがあります。

皆さんは人間の手に依らない新聞記事をどう感じるでしょうか。アメリカで起こっている問題は将来日本でも起こる,,,という考えは短絡的かもしれませんが、十分に検討の余地があります。日本でも若者を中心にインターネットの掲示板やニュースアプリで済ませてしまう風潮から、紙面の発行部数は減少傾向にあります。多くの原稿を仕上げるために自動作成ソフトが導入されることは非現実的な話ではありません。

事実を伝えるだけのごく短い記事をソフトに任せ、記者はより重要な取材や人間味あふれるコラムに集中する。そんな効率的な解決策に感心する一方で、記者の仕事をとってかわるのには不十分ではないかという懸念も覚えます。例えば失敗と責任の問題。もし人間の記者が書いた記事に不備や間違いがあれば、書いた当人は強く反省し、次の仕事に教訓を活かそうとするはずです。しかしソフトは自分の間違いに後悔することはありませんし、記事を読んだ人がどう感じるのかを顧みることもできません。失敗が「ソフトの不具合だから」と片付けられてしまえば、ソフトのオーナーにとっても当事者意識は薄れてしまうでしょう。読む側は人の手に依らない記事をどのような思いで読むでしょうか。

 

<参考記事>

6日付 読売新聞朝刊 (東京14版)7面 「記者減り 原稿自動作成」

 

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