博物館に行ったあとで食べ物がのどを通らない。そんな経験をしたことがあるだろうか。
去年の夏、ベトナムとカンボジアに行っていた。その中でも特に記憶に残っているのが、ベトナム戦争博物館と、ツルースレン虐殺博物館である。
ベトナム戦争博物館
ベトナム戦争は、1950年代から75年にかけて続いた戦争だ。冷戦下、社会主義の北ベトナムと、アメリカなどが支援する南ベトナムが対立し、途中からは米軍が本格的に介入した。長期化する中で多くの兵士や民間人が犠牲となり、枯葉剤や空爆による被害も生じた。75年、北ベトナム側が南ベトナムの首都サイゴンを制圧し、戦争は終結。翌年、ベトナムは南北統一を果たした。かつてサイゴンと呼ばれたホーチミンにベトナム戦争博物館がある。これから、この博物館で印象的だった写真を紹介する。(写真はあまりに残酷なものがあったため、本記事では使用せず)
水責めの写真
水責めというのは、仰向けに寝ている人の口元に水を注ぐ拷問方法だ。写真には、仰向けに寝かされた人物と、その身体を押さえつける複数の人が写っている。人物の口元には水が注がれている。身体を押さえつけている人物の一人は、手に煙草を持っている。大がかりな道具が使われているわけではなく、携帯している水筒のようなものから水を注いでいるように見える。
写真を見て、私はその光景の「日常性」に恐ろしさを感じた。拷問という言葉から想像するような特殊な装置ではなく、煙草を片手に、身近な道具を使って人を苦しめている。そのことが、かえって強く印象に残った。
死体の皮を持つ兵士の写真
キャプションに「手りゅう弾発射装置で殺害された兵士の一部を持ち上げる」と書かれている。見ると、死体の顔と腕の部分を持ち上げている兵士が写っている。顔はほぼ原形をとどめており、地面にはその人の足のようなものが落ちている。兵士は、それを特別なものとして扱う様子もなく、手に持っている。
私は、その顔から目を離すことができなかった。そこに写っているのは「死体」ではあるが、その直前まで誰かにとって大切な一人の人間だったはずだ。にもかかわらず、写真の中では、まるで物のように扱われている。その落差が怖かった。
戦車で人間を引きずっている写真
写真には、戦車の後ろに紐でつながれ、足を引きずられている二人の人物が写っている。いすれもふんどし姿で、ほとんど裸に近い姿のまま地面を引きずられている。キャプションには「囚人をタンクに括り付け、死ぬまで引きずる」と記されている。
二人はどんな思いで引きずられていたのだろう。待っている家族のことを考えるのだろうか。死ぬまで引きずられると分かっているのだろうか。
ツルースレン虐殺博物館
カンボジアでは、1975年から1979年にかけて、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが国を支配した。ポル・ポトは農業を中心とする極端な共産主義社会を目指し、都市の住民を農村へ強制移住させた。
知識人や教師、医師などは「敵」とみなされ、多くの人々が処刑や強制労働、飢餓などによって命を落とした。わずか4年ほどの間に、170万人から200万人が死亡したとされている。
調べたところ、クメール・ルージュは「大人は信用できない」と、子どもや若者も取り込み、監視や暴力に関与させた。当時の学校を改造して作られた収容施設であるツルースレンでは、こうした体制のもとで多くの人々が拷問や尋問を受け、処刑された。この博物館で見たいくつかの展示を紹介する。
拷問部屋
そんなツルースレンは、拷問部屋が当時のままの形で残されている。金属でできた硬そうなベッド、下のほうには足かせがついている。そして茶色と白の模様の床には血痕のようなシミが。壁のほうを見てみると、どんな様子で遺体が発見されたのかの写真が飾られている。苦しんだような表情、血が床まで滴っていた。そして部屋には50年以上たった今も、かび臭いような、何とも言えない匂いがしみついている。
飾られている少年、少女たちの写真
博物館には何百もの少年、少女の写真が飾られていた。10代か、それより年下と思われる子どもたち。ツルースレンで働いていた、と解説があった。それによると、看守として、監視や暴力に関与させられる者もいたそうだ。真顔の写真が多い中で、数人、微笑を浮かべているものもいた。彼らはこの場所に何があると思って連れてこられたのだろうか。
ツルースレンに連れてこられた人の写真
どんな気持ちで到着したのだろうか。「農作物を盗んだ」などの、あらぬ疑いをかけられて逮捕された人が多かったとの解説がある。写真の中にあるのは、5歳くらいの小さな子から老人まで、年齢も性別も問わない。映像を見る限り、無表情か怒りの目を向けている者ばかりだった。ここに来ればほとんどの場合、残虐な方法で殺される。生きて出ることができたのはわずか7人だったと言われている。
独房と大部屋
煉瓦で作ったような壁と人一人ようやく寝られるかというくらいの狭いスペース。実際に入ってみると、シーンとしており、孤独感と閉塞感で耐えられなくなった。小さな金属製の容器がトイレ。そこには、少しでもこぼすと床にこぼれた糞尿を舐めさせられたと証言した人もいるそうだ。
続いて大部屋。一本の金属製の棒に足かせがいくつもつけられていた。小さいものから大きいものまで様々だった。大人も子どももその大部屋に足かせをつけられ、放り込まれていたのだ。
キリングフィールド
ツルースレンでは人々は拷問や尋問を受け、殺されることもあったが、刑場であるキリングフィールドに移送され、処刑された人もいた。それもあり、ここは赤ちゃんの頭を打ち付けて殺した木があることで有名だ。
大人から子供まで、多くの人が埋められた墓地があり、土の中から服の一部が見えることもある。透明の箱に、同じ部分の人骨が集められ、展示されていた。そして、中央にある仏塔のようなものは、頭蓋骨で埋め尽くされている。そこには服も展示されており、まだ鮮やかな色をしている。今とほとんど変わらない洋服だ。これがその人にとって最後の服だったのだろう。
負の記憶から
人ってどうしたらこんなに残酷になれるのだろうと考えざるを得なかった。今の日本は平和であるし、「死」が身近にない。というか、「死」というものから遠ざけられている。でも、これほどの「死」からの隔たりの大きさをそのまま維持してほしいと思う。第二次世界大戦でも、ベトナム戦争でも、カンボジアでの虐殺でも、「死」が身近にありすぎた。そんな出来事が起きる前はその人たちにもずっと続くと思うような、何でもない日々の生活があったはずだ。でも、戦争や虐殺が一度起こると人ってすぐに変わってしまう。
「死」が日常にあると、多くの死体を見てもあまり何も感じなくなるのだろうか。そう考えると、人間の意思とか脳って、揺らぎやすい不安定なものなのだと思わざるを得ない。戦後81年。家族と食卓を囲み、友人と笑い、明日も今日と同じ一日が来ると思える。そんな何でもない日常を、誰もが当たり前に享受できる世界にするには、どうすればよいのだろうか。
参考資料
・山田寛 「ポルポト〈革命〉史ー虐殺と破壊の四年間」講談社選書メチェ 2004年
・アンジェリーナ・ジョリー 「最初に父が殺された」 2017年



