8月13日、東京・歌舞伎座で「八月納涼歌舞伎」第二部を観劇した。演目は、古典落語をもとにした喜劇「眠駱駝物語 らくだ」と、女盗賊が主人公の「百千鳥沖津白浪 鬼神のお松」。なかでも筆者の心に残ったのは、歌舞伎俳優の中村七之助さんが演じた鬼神のお松だった。夫を思う女房であり、我が子を抱く母親である一方、手下を差配するる女盗賊でもある。七之助さんが赤子を抱き、あやす姿や、指先まで意識の行き届いた所作を見るうちに、すっかり舞台に引き込まれていた。

(2026年8月13日 筆者撮影)
筆者にとって、歌舞伎座を訪れるのは今回が2度目だ。初めて足を運んだのは高校2年生だった2024年7月、学校行事で「七月大歌舞伎」の『星合世十三團』を観たときだった。市川團十郎さんが『義経千本桜』でおなじみの13役を一人で演じ分ける演目で、宙乗りや早替わりも見どころの一つだ。團十郎さんが舞台上方から近くまで舞い降りてきたことや、次々と役を替えていく姿には圧倒された。一方で、物語を十分に理解できたとは言い難く、もう一度、今度は落ち着いて歌舞伎を観てみたいと思っていた。
今回の「鬼神のお松」で印象に残ったのは、七之助さん演じるお松の母親としての所作である。赤子が泣き声を上げるたびに抱き、あやす場面が何度も登場する。首の動かし方や指先の使い方、赤子を抱く仕草まで、女性らしく見える。その動きからにじむ気品にも惹かれた。
日本芸術文化振興会が運営する文化デジタルライブラリーによると、女方は腕を身体から離さず、肩をなで肩に見せ、歩くときに両膝を離さず内股にするなど、身体の使い方を工夫して女性を表現するという。
女方の妖艶さに圧倒されながらも、筆者は自身の意識にある矛盾に気づいた。性別を理由に、こう振る舞うべき、こう生きるべきと人の生き方を狭めることには強い違和感を持っているのに、女方が表現する、性別による固定的なイメージそのものには、素直に美しさを感じたのである。
そこで思い浮かんだのが、筆者がもう一つ好きな舞台芸術、宝塚である。こちらは、すべて女性の歌劇団員が男性の役を「男役」、女性の役を「娘役」として演じる。
さらに考えてみると、筆者はこうした舞台だけではなく、1970~80年代の昭和歌謡やアイドル文化も好んでいる。当時の歌や映像には、女性が男性を待つ姿や、結婚を女性の幸せとして描くなど、男女の役割を固定的に捉えた表現も少なくない。しかし、差別的な表現があるからといって、私は昭和歌謡やアイドル文化を厭わない。女性はこうあるべき、男性はこうあるべきという価値観が今より強かった時代の文化だからこそ、そこにしかない魅力もあるように思う。
歌舞伎や宝塚が非常に長い間、多くの観客に親しまれてきたことを考えても、性別を意識させる表現そのものに魅力を感じる人は少なくないのだろう。性別によって生き方を決めつけることには抵抗があるのに、女方の所作や男役の姿を美しい、格好いいと思う。では、そうした表現を美しいと思うことも、結局は「女性はこういうもの」「男性はこういうもの」という価値観を支えることになってしまうのだろうか。
一つ言えるのは、性別による決めつけをなくそうとするあまり、女性らしさや男性らしさに魅力を感じることまで否定してしまえば、それもまた特定の価値観を押しつけることにになることだ。「自分が何を美しいと思うか」と、「他人がどう生きるべきか」は、同列では論じられない。
今回の記事を書きながら、ジェンダー平等を目指すことと、昔ながらの「女性らしさ」「男性らしさ」を好むことを、どちらかを排除する必要はないのではないかと思った。女性だから、男性だからと生き方を決めつけられない社会であってほしい。その一方で、昔から受け継がれてきた文化に、今の価値観とは異なる男女観が含まれていても、それを理由に文化そのものを否定したくはない。
まだ明確な答えは出せていないが、古い価値観を含む文化をどう残し、同時に人の生き方を性別で決めつけない社会をどうつくるのか。この二つを両立させることについて、考え続けたい。
参考記事:
・2026年8月13日付 朝日新聞デジタル 「(評・舞台)歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」 七之助が新鉱脈、悪婆キリリと」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16525906.html?iref=pc_ss_date_article
・2023年10月18日付 朝日新聞デジタル 「切り開いた道の先に、いま歌舞伎 「文七元結物語」に出演・寺島しのぶさん」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15770331.html?iref=pc_ss_date_article
参考資料:
独立行政法人日本芸術文化振興会 「女方の心がけ|女方|はじめての歌舞伎」
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc25/jp/female-roles/dedication.html
(最終閲覧はすべて2026年8月18日)
