津久井やまゆり園事件から10年 「きょうだい児」の私がいま向き合う理由

2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員が侵入し、入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った。この大量殺人事件は、容疑者が抱いていた「障害者は不要」という妄執とともに、社会に衝撃を与えた。

あの事件から、今日で10年が経つ。

津久井やまゆり園
(2026年7月23日 筆者撮影)

7月23日の相模原市の最高気温は38℃に達していた。JR相模湖駅の構内で、津久井やまゆり園行きの1時間に1本だけのバスを待った。駅の構内はエアコンが効いておらず、座っているだけでだらだらと汗が流れる。

やがて到着したバスに乗り込む。車内には、既に地元住民と思われる数人が座っていた。初めて乗る路線に、「このバスで合っているだろうか」と緊張する。戸惑っていると、おじいさんが声をかけてくれた。「お嬢ちゃん、どこへ行きたいんだい」「津久井やまゆり園に行きたいんですけど…」「ああ、それならこのバスに乗っていれば大丈夫だよ」。無事に目的地に向かえると分かり、そっと胸を撫でおろした。ひんやりとした冷房が心地よい。カバンからカメラとノート、ペンを取り出し、気持ちを整えた。

バスが動き出す。揺れる車窓から、外の風景を眺める。景色は次第に山深さを増していった。こんな辺鄙なところに、あの施設はあったのか。なぜここにあるのだろうか。

立地に加え、交通の便も決してよいとは言えない。思えば、都心で障害者施設を見かける機会は多くない。ただ見ようとしてこなかったのか。それとも、障害者の存在が社会から見えなくさせられているのか。

「福祉施設は、地価の安い土地に建てられていることが多い。そういう場所は、ハザードマップで危険な地域とも重なることがある」。以前出会った元福祉施設職員の言葉が頭をよぎる。障害者施設の建設に周辺住民から反対の声が上がる場合もある。そうした社会の動きと、あの犯人の考えとの間には、一体どれほどの隔たりがあるのだろうか。

「津久井やまゆり園前」でバスを降りると、再建された園舎が見えた。事件後に横浜市港南区の施設へ仮移転していた利用者らは、2021年7月の新園舎完成に伴い、同年8月から順次この地へ戻り生活を再開しているという。

敷地内に慰霊碑が静かに佇んでいた。碑には、18本のやまゆりと、ご遺族の同意が得られた11人の犠牲者の名前が刻まれていた。

施設の前に設置された慰霊碑
(2026年7月23日 筆者撮影)

現場に立ち、慰霊碑を前にしてもなお、どこか現実感が追いつかない。そんな感覚にとらわれる。こんなに閑静な土地で、本当にあの凄惨な殺戮が起こったのか。

 

「きょうだい児」としての葛藤

先月末、「あらたにす」の7月の担当日を決める際に筆者は自ら手を挙げた。「26日は、津久井やまゆり園の事件から10年となる日。関連のことを書きたいので、その日の担当にさせてください」。シフトの作成者に、そう申し出た。

だが、記事の作成にあたって資料を読み込もうとしても、身体が拒絶した。手始めに、事件の概要をまとめた神奈川新聞取材班の本をAmazonで購入したものの、届いた7月上旬は他の用事が立て込んでいたことを理由に机に積んだままにしていた。中旬になり、本を普段持ち運ぶカバンに入れた。「きっとどこかで読むだろう」と思ったからだ。それでも手が伸びなかった。

このままでは記事が書けない。意を決してページをめくり始めると、1ページごとに胸が抉られるような感覚がした。心臓の鼓動が速まっていく。これ以上知りたくないと思った。

やまゆり園事件のことを、なんとなく避け続けてしまう自分がいた。深く考えると、何か気づきたくないことに気づいてしまいそうで、奥に進むことができない。これ以上立ち入っては戻ってこられなくなるような、そんな恐ろしさがあった。

筆者は、いわゆる「きょうだい児」だ。2歳年下の弟には、自閉症を伴う重度の知的障害がある。どんなに成長しても知的には2歳半までしか到達しないと医師に診断されている。10年前の事件当時、優生思想や容疑者を擁護する意見の多さに息が詰まる思いがした。

いつか弟も、誰かに殺されてしまうのではないか。

考えるのが怖かった。だから、事件の詳細を知ることを無意識に避け続けてきたといえる。それでも、伝えなくてはならない。一人のきょうだい児としてではなく、学生ライターとしてなら、事件を見つめられるのではないか。そう自分に言い聞かせて現地へ足を運んだ。

 

事件から10年 果たして社会は変わったか

厚生労働省が令和7年12月に公表した調査によると、令和6年度の障害者福祉施設従事者等による障害者虐待の件数は1267件に上った。家族や親族をはじめとする養護者による虐待も2503件を記録し、いずれも過去最多を更新する結果となった。

昨今の社会状況を見渡すと、「日本人ファースト」といった他者を排除する言説が一定の支持を得ている。そうした空気の中で、外国人の次に「セカンド」以降へ追いやられるのは、障害をもった人たちのような気もしてならない。「効率」や「有用性」で人間の価値を測り、弱者を切り捨てる論理は、今も社会に息づいてはいないか。

19人は、教訓になるために亡くなったのではない。それでも、私たちは今一度立ち止まり、この社会の姿を見つめ直さねばならない。障害をもつ者も、もたない者も、全ての人々が誰に脅かされることなく生きられる社会になっているか。この問いを、これからも投げかけていく。