1945年8月9日午前11時2分、プルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が長崎市に投下された。すさまじい爆風と熱線と放射能が襲った。同年末までに約7万4千人もの尊い命が奪われたとされる。
あの日から81年近くの歳月が流れた街を案内してくれたのは、今泉宏さんだ。元々は、高校で数学を教えていた。退職後、長崎市内に残る被爆遺構の「平和案内人」として、被爆の実相と平和の尊さを次世代に伝えていく活動をしている。
この日、関東地方から訪れた大学生らに向けて、こう語りかけた。「建物がなくなると、記憶がなくなる。足を運んで、目の前に立って、感じてください」。
「目から消え去るものは、心からも消え去る」
長崎には、原爆の記憶を語り続ける遺構が複数ある。
浦上天主堂は爆心地から500メートル北東に位置する。堂内にいた神父や信徒たちは一瞬で命を奪われ、数万個の赤レンガで造られた堅牢な大聖堂は崩壊した。約50トンと言われる鐘楼は凄まじい爆風にさらされ、そのまま崖下の川へと吹き飛ばされた。
爆心地から西へ500メートルに位置する城山小学校の被爆校舎もその一つだ。児童・教職員ら1400人余りが犠牲になったとされるこの学校では、倒壊を免れた校舎の一部が保存され、1999年に「城山小学校平和祈念館」として公開された。
かつて城山小学校の保存運動を主導した内田伯さんは、こんな言葉を残している。
「目から消え去るものは、心からも消え去る」。
震災遺構が映し出す「あの日」
こうした遺構がもつ力は、東日本大震災の遺構にも共通している。
宮城県石巻市の門脇小学校は、津波とともに、その後に発生した津波火災の痕跡を残す全国でも唯一の震災遺構として、2022年から一般公開されている。黒く焼け焦げた教室の前に立つと、壁があれば吹き抜けるはずがなかった風を肌に感じ、当時の凄まじい破壊力が伝わってくる。
福島県大熊町の熊町小学校では、原子力災害の実相を伝える遺構として残す動きが、市民団体を中心に進められている。東京電力福島第一原発から約4キロ、中間貯蔵施設の敷地内にある。震災から15年が経ったいまも、あの日の姿をとどめたままだ。教室には当時の机や靴がそのままの状態で残り、訪れた学生からは「福島第一原発を見るより、ここを見るほうが原子力災害が自分事になる」という声も上がっているという。
遺構がもたらす痛みと、保存の壁
遺構には別の側面もある。かつて通っていた小学校が改修されたという、ある被爆者の女性はこう語った。
「改修されてよかった。被爆の跡が生々しく残っているのを見ると、辛い記憶が蘇ってしまう。どうして私だけ生き残ってしまったんだろうって」。
遺構は、訪れる者にとって教訓の宝庫である一方、当事者にとっては傷口を開き続ける装置になりうる。保存か、改修か、解体か——その選択に、唯一の正解はない。
もう一つの壁は費用だ。
熊町小学校の場合、大熊町は保存・活用に最大約25億円かかると試算している。老朽化した鉄筋の腐食も進んでおり、一部を調査するだけでも数千万円規模の費用が見込まれるという。
児童・教職員計84人が津波の犠牲となった石巻市の大川小学校は、悲劇の教訓を伝える遺構として市が管理している。しかし、市の予算にも限りがあるなかで、すべての維持補修や遺族らが望む細やかな形での保全・伝承活動に対応できているわけではない。そのため、遺族や有志でつくる団体が自ら全国から寄付や資金を集め、校舎の傷んだ部分を補修したり、周辺の環境を維持したりしているのが実状だ。
広島・原爆ドームが乗り越えた壁
「負の遺産」として世界中から多くの人が訪れる広島の「原爆ドーム」も、かつて同じ壁の前に立ち尽くしていた。
被爆直後の広島では「見るのが辛いから取り壊してほしい」という解体論が根強く、保存費用の工面も難航していた。転機となったのは、ある被爆少女の遺志をきっかけに始まった市民の署名運動と、国内外から寄せられた多額の募金だった。100万筆を超える市民の熱意が国会を動かし、1回、2回と保存工事を重ねた。1996年には米国や中国からの懸念といった外交的な壁をも乗り越えて世界文化遺産への登録を果たした。
遺構は「物言わぬ語り手」
遺構を訪ねると、整理された資料館の展示では伝わらないものがある。目の前に立ってはじめて、感じるものがある。
災禍を受けた者が、必ずしも自らの言葉で語ることができるわけではない。過去のトラウマに向き合い、言葉を紡ぐことは痛みを伴う。語れるようになるまでに何十年もの歳月を要する人もいれば、口を開くことなく生涯を終える人もいる。当事者に語ることを強要してはならない。長崎の被爆者は年々減り続け、その経験をどう次世代へと継承するかが、切実な課題になっている。
戦後81年、震災から15年。遺構は「物言わぬ語り手」として、今日も静かにそこに立ち続ける。訪れる人がいる限り、過去の惨禍と未来への教訓は、次の時代へと受け継がれていくはずだ。




