7月2、3日に浜離宮朝日小ホールで開催された「Think Gender Forum」セミナーに参加した。 朝日新聞社がシャネル財団の助成を受け運営するForumは、「無意識のバイアスを乗り越え、ジェンダー平等の実現をリードする表現者へ」とサイトに掲げている。この2日間は全国からメディアに携わる記者やクリエイター、学生が交わり、7つのプログラムを通して学び、意見を交わした。
指定された5、6人の班での聴講や体験は、刺激的な学びに溢れていた。2024年度前期連続テレビ小説『虎に翼』の脚本・執筆者吉田恵里香氏の講義に始まり、東京大学とソニーが共同開発した「バイアス推理カード」を使ったセッションでは、ランダムに引いたカードに書かれた身近な製品に関する「バイアス」を互いに説明し合った。ジェンダー論に留まらない社会におけるバイアスに関する意見は、普段こうして文字に書いたり本で読んだりすることこそあれど、他人それも幅広い年齢・性別を相手に表明する機会はそうそうない。
特に印象に残ったのは、2日目の始めに行われた「ジェンダーの視点でニュースを見る」という実践型のプログラムだ。早稲田大学名誉教授・GMMP日本代表の高橋恭子さんの説明の下で、ジェンダー視点でニュースの構造を分析する世界的な調査「グローバル・メディア・モニタリング・プロジェクト」(GMMP) での計測を実際に試した。やり方は簡単だ。対象のメディアに対し、取材対象を含む全ての出演者とその情報をリストアップしていく。今回は1分間ほどのテレビの事件報道を分析した。リストアップした後は「コーディングシート」と呼ばれるGMMPで使われる表に、対応する「GMMP+30モニターガイド」の設問に沿って数字を書き込んでいく。
「メディアの中のジェンダー」と聞いて、思い浮かべるものは何だろうか。男性は政治・経済の議論で多く映るとか、アナウンサーには若い女性ばかりだといった、テレビを流し見するだけで分かる問題もあるが、それだけではない。コーディングシートでは出演者の職業や番組内での役割、家族関係の有無、明確なサバイバーとして描かれているかなど、細かな問題にも着目する。セミナーでは「事件の被害者の職業の報道のされ方が、性別によって変わるのでは?」という仮説が導き出されるなど、細かな分析で自分に欠けていた視点に気づくことができた。
更に面白かったのが、「メディアが不均衡を再生産しているのでは?」という問い掛けだ。ただでさえ時間をかけられない普段の取材や編集には「いつもの絵面」が求められ、家計の取材なら「お母さん」に、帰省なら家族連れに…という対応は無意識だが顕著に現れるという議論もあった。
事件報道では偏見を過熱させるようなものも見られる。25年7月9日 朝日新聞デジタル「ニュースに潜む「男消し構文」 加害者男性が〝透明〟になる要因とは」で言及されているように、「20代女性が被害者」と書くだけでPV数が上がるなど、センセーショナルな内容は読者・視聴者を惹きつける側面は否めない。
セミナーで分析対象とした事件報道の一つも、加害者の「不良っぷり」が強調されており、私も「ここまでする必要はあるのだろうか」と思った。視聴者に公正世界仮説から来る認知バイアス(「自分の行いや努力に応じた公正な結果が返ってくる」と信じ込むこと。「悪い行いをした人に悪いことが起きる」という認知につながり、不条理な不安から心を守る機能を持つ反面、被害者への不当な非難にもなる)を焚きつけて「私は大丈夫」と思わせるためなのか、より単純に野次馬根性を利用しているのかは分からないが、明らかに印象バイアスを操作するような報道には注意が必要だ。
こうした状況に対し、現場からの改善策はあるのか。NHKは、英BBCが2017年に開始した「多様な社会を公正に反映したコンテンツ制作」を目指した 「50:50プロジェクト」に参加する。インタビューを受ける街頭の人や専門家など、出演者の男女の割合を計測して可視化することで、番組全体のジェンダーバランスを公平にする取り組みだ。手間がかかるかもしれないが、画期的な取り組みだと感じる。
プロではない学生の私は制約こそ少ないが、新聞サークルでも「取材できそうな人」に取材する企画を作らないとまず提案が通らないという実感がある。特にジェンダーに関しては、悔しさを感じた出来事を体験したばかりだ。取材に使うためにアンケートをしたのだが、回答者の7割程度が女性だった。周囲の人間に拡散したとしても、やはり自分が女性で、男性の知り合いが少ないからなのだろう。学生であるがゆえに、アンケートの拡散を地道に周囲に頼むしかできないという、切迫した状態ではどうにもできないジェンダーバランスの難しさに直面した。
これは取材にとどまらない。セミナーでは、「じゃあ気をつけよう」とまとめることしかできなかったが、より根本的な問題があるように思う。話す相手、アンケートを拡散できる相手、取材相手。「偏り」は普段からだ。私は中学高校と女子校だったため、大学は小学校以来の共学環境である。
入学して初めての対面授業。フランス語の必修で、30人くらいが座れそうな部屋に入ったとき、特に何も考えずに端の方に座った。全員が着席した後に、私以外は女子同士、男子同士で大きく離れて固まっていることに気づいた。このような経験を何度か繰り返し、途中からは女子の固まりの近くに席を取るようになった。その授業では、女子とは全員連絡先を交換したり、課題を見せ合ったりしたが、遠くに固まっている男子は名前すら知らない人が殆どのまま一年が過ぎ、この授業は終わった。
やはり取材と日常空間は地続きだ。今すぐに変わることはないだろうが、だからこそ必要なのは今回のセミナーのような、ある種人工的に作られた対話の機会だろう。年齢や性別、職業など、普段ならば似た者同士で固まりそうなところを、均等に散りばめて班が編成されていた。レギュレーションもあり、「心地よい場づくりのために」と、相手への敬意を大切にすること、無理をしないことなどが書かれていた。どれも基本のことのように思えるが、大切なことばかりで、制作の方のことも知りたいと思った。
こうして全員の心理的安全が保護された状況の下で立場に関係なく議論することができ、とても楽しかった。議論の内容そのものもだが、普段気にしている様々なことを一切気にしないだけで、こんなにも面白く話ができるのかと感動した。
Think Gender Forumに学生として参加できたことで、たったの2日間でも希望と課題が見えてきた。このような対面での意見交換や学びの場が定期的に開催されることは、バイアスのない言論・報道空間の実現に向けてかなり有効だと感じる。次回以降を心待ちにしつつ、日常からできることはないか、実践を重ね、知見を深めていきたい。
参考記事
朝日新聞デジタル
2025年7月9日 ニュースに潜む「男消し構文」 加害者男性が〝透明〟になる要因とは
2026年2月25日 ジェンダー視点で見る世界の報道の30年 「停滞する進歩」の意味は

