「デジタルかアナログか-問われる教育現場-」

7月30日付読売新聞朝刊に各国の教育について紹介する「世界の学校」という記事が掲載されました。今回は、イタリア・ローマの「オペラ」を活用したカリキュラムが取り上げられていました。音楽や歌だけでなく、舞台となった時代や国の文化や歴史など多様な教科を横断した学びとなっているようです。1年間オペラを通じて得た学びの成果を、実際に演じることで報告する取り組みです。この活動の背景には、本物のオペラ観劇が高額であることや観客層の高齢化などが挙げられ、子どもたちに魅力を伝えるとともに、成長の場を提供しています。

 

イタリアでは、就学時前の教育が盛んであり、美術や芸術を活用して考える力や感性を養うことが重視されています。その一つに「レッジョ・アプローチ」というものがあります。子どもたちが生活をする場そのものを創作空間とする試みであり、保育園や教育機関にアトリエを設けるなどがその一例です。簡単に言うと、保育園の壁が可動式になっていて自由に空間を創出できるとか、壁そのものがキャンパスになっているといったことです。

 

子どもたち自身が実際に体験し、主体的な姿勢で学ぶ。それにより、それぞれの価値観を磨いていく取り組みはデジタル化した現代社会において、一段と需要な意味を持っていると言えます。そのような主体性を活用した学びにつながるのではないのかと日本政府が期待しているのが、「デジタル教科書」だと思います。

 

6月10日、デジタル教科書を紙と同等の正式な教科書とする「改正学校教育法」が成立しました。これにより、これまでの「紙」「紙とデジタルのハイブリッド」の2つの選択肢に「完全デジタル」が加わることになりました。どの形態をとるのかは各教育機関や学校長に一任されることになります。

 

英語の授業においては、発音やリスニングなどの場面で積極的に活用されており、デジタル教科書への期待は高いといえます。また、外国籍の児童生徒が多く住む地域では、日本語指導が必要な子どもの学びを助けることが期待されています。

これまでの紙教科書ではできなかった、「それぞれの子どもたちに合わせた多様な学び」が行える可能性は大いに高まるでしょう。ですが、充電切れやネット環境の差など懸念すべき点が多いことも確かです。

また、日本に先行して教育現場でのデジタル化が行われた欧米諸国では「脱デジタル化」というアナログ回帰の動きがみられはじめていることも考慮しなければなりません。デジタル化によって「教育先進国」とされたフィンランドやスウェーデンでは成績不振や心身の不調が明らかになってきています。

 

完全デジタルを選択すれば、授業だけで1日5時間ほど画面を見続けることになります。それに加えて、自宅でのスマートフォンの使用やテレビの視聴を加えれば、1日の大半を画面を注視して過ごすことになりかねません。

 

筆者のような大学生の多くは、パソコンでメモを取って、授業の課題をこなしています。小中学生に比べ精神的にも身体的にも成熟していますが、それでも1日中画面とにらめっこすることには疲れます。小学校の児童や中高生で、どれほどの負担になるのかは自明でしょう。

 

デジタル化に遅れをとったからこそ、先行した各国の実績を参考にできる立場にあります。それにも関わらず、デジタル化を進めようと急ぐのは、大人のエゴだともいえます。確かに、クラス単位の授業では一人ひとりにあった学びを提供することは難しいでしょう。ですが、それをどのようにフォローしていくのかはそれぞれの家庭における課題でもあります。家庭に任せきりでは、格差が広がる懸念はありますが、学校教育で行うことはさらなる混乱を招きかねません。

 

SNSの普及とともに、子どもたちは評価されることや他人と同じようにすることが身についてしまっています。その中で最初に紹介した自分を表現できる場の重要性は増しているでしょう。どのように子どもたちに学びを提供していくのかを考えなければなりません。今回のデジタル教科書の議論もその一つであると思います。子どもたちの未来を豊かなものとするために、大人がするべきは自らの理想を押し付けることではなく、寄り添う姿勢を見せることなのではないでしょうか。

 

参考記事

6月10日付 日経新聞オンライン 「デジタル教科書、2030年度使用へ改正法成立 教員の活用力問われる」

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0134V0R00C26A6000000/

 

7月30日付 読売新聞朝刊(大阪13版)12面「オペラ熱演 響く歌声」