水俣病70年(下) 終わらない水俣病、「真の解決」へ

5月1日、水俣病の公式確認から70年の節目を迎えた。患者と認められたのは、熊本・鹿児島両県で2284人。生存している患者の平均年齢は82歳と高齢化が進む(2026年3月末時点)。患者や支援者らは、水俣病とどのように向き合ってきたのか。1日に営まれた「水俣病犠牲者慰霊式」の模様から、悲劇を繰り返さないための誓いと、未来へ語り継ぐべきことを見つめる

(2026年5月1日筆者撮影 熊本県水俣市、水俣湾

 

本稿は、上・中・下の三部構成でお届けします

(上:水俣病の概要、チッソと水俣の歴史)https://allatanys.jp/blogs/29904/

(中:胎児性患者・松永幸一郎さんの半生)https://allatanys.jp/blogs/29916/

 

「水俣病犠牲者慰霊式

熊本県水俣市の水俣湾埋め立て地で1日、「水俣病犠牲者慰霊式」が営まれ、患者や遺族、行政関係者、企業関係者ら約780人が参列した。会場には、被害者団体との懇談のために前日に現地入りした石原宏高環境相や、地元選出の国会議員らの姿もみられた

(2026年5月1日筆者撮影 熊本県水俣市、エコパーク水俣

 

筆者は、胎児性・小児性患者の支援などに取り組む一般社団法人「きぼう・未来・水俣」のサポートとして参列した。式典に参列するのは、今目だ。昨年までの式典と今回の違いは何か。「70年という節目を前に、今年こそは前向きな動きにつながるのではそんな望みが患者や支援者の中にあった点だろう

しかし式典は、例年同様に淡々と進められた。プログラムとして、石原環境相や木村敬熊本県知事、チッソ社長が謝罪を、市内の小学生が決意を述べた。患者・遺族代表の緒方正実さん(68)は「祈りの言葉」で、「水俣病と向き合う勇気などなく、認定申請も自ら拒んでいました」と自らの経験を語った

(引用:2026年5月2日付 読売新聞オンライン 「水俣病公式確認70年『真の解決は教訓につなげることができた時だ』認定患者の緒方正実さんが『祈りの言葉』」

 

緒方さんは1957年、熊本県芦北町に生まれた。祖父は劇症型の水俣病症状を呈して他界した。母や妹を含め親族20人が認定患者となった。緒方さん自身も、幼いころから手足のしびれや頭痛に悩まされていたが、当時激しかった水俣病への偏見・差別を恐れ、症状を隠して生きてきた。95年の政治的解決を機に、心区切りをつけるつもりで水俣病被害者としての補償を申請したところ、結果は「非該当」。「切り捨てられた」との憤りから、水俣病と向き合うようになった。「社会に対する抑えきれない怒りが続きました」

4度の棄却と行政不服審査請求を経て、2007年にようやく水俣病の「認定」を得た。その後、水俣市立水俣病資料館の語り部となり、約850回の講演重ねた。昨年からは、加害企業チッソの事業子会社JNCの新入社員研修でも講話をする。「私が思う『水俣病の真の解決』とは、全ての人たちが起きた出来事と向かい合い、心から反省をし、教訓につなげることができた時だと思います」。緒方さんは自らの半生を振り返りながら、未来への思いを語った

 

向き合うべき行政、目的不明の実態調

そんな「水俣病の真の解決」には、行政の役割が重要である。石原氏は式典において「水俣病の被害の拡大を防げなかったことをおわびする」と陳謝し、「水俣病の経験と教訓を世界に発信し、水銀による環境汚染や健康被害のない世界の実現に向けて積極的に取り組む」と、被害地域の再生や医療・福祉の充実に取り組む考えを示した

(引用:5月2日付 朝日新聞デジタル 「水俣病の公式確認70年、患者願う『真の解決』の時 現地で慰霊式」

 

このような前向きなことばの一方で、現実は被害者の救済どころか実態把握すら十分に進んでいない

「あたう限りの救済」を掲げた09年施行の水俣病被害者救済法(特措法)に示された沿岸住民の健康調査は、ようやく今年度中に始められる。しかし環境省が実施する脳磁計(MEG)と磁気共鳴断層撮影(MRI)を使用した検査は、精度に難があると指摘されている。さらに、検査の結果として仮に水銀汚染の可能性が見つかっても、受診者には伝えないという。救済につながらない調査に何の意味があるのか。疑問を抱かざるを得ない

 

 向き合おうとしない行政、蔑ろにされる患者の思

石原氏は式典終了後に同市で開いた記者会見で、水俣病患者団体から要望されていた福祉支援の充実をめぐり、前日の懇談で自らが対応する意向を示したことについて「(本人が)目の前にいたので発言したが現実は難しい」と述べた

24年5月1日には、いわゆる「マイクオフ問題」が発生している。当時の環境相と患者団体らとの懇談会で、環境省職員が患者側のマイク音声を一方的に切ったのである。全国的に報じられる大問題となり、同省は反省の言葉を繰り返した

被害者らの声を遮り、するつもりのない約束をする。石原氏の発言からは、2年前の反省が全く感じられなかった。必死の主張を蔑ろにされる被害者らを思うと、やるせなさを感じる

 

「真の解決」へ 

改めて「水俣病の真の解決」とは何だろうか

第一に、存命の水俣病患者らが不自由なく生きられるような行政の補償が必要だ。04年の最高裁判決で、水俣病被害拡大を防げなかった国と県の責任は確定している。行政は犯した過ちに向き合い、高齢になり困難が増えた患者に合わせた補償をするべきだ。そのためには、水俣病被害の全容調査と取りこぼしのない認定が欠かせない

第二に、同様の悲劇を繰り返さないために教訓として語り続けることだ。この「悲劇」は、水銀汚染や公害に留めてはならない。水俣病がもたらした悲劇は水銀中毒による健康被害に限られないからである。「魚湧く海(いおわくうみ)」と称された豊かな不知火海は汚染され、患者らは無知と偏見により孤立した

(2026年3月16日筆者撮影 熊本県水俣市、エコパーク

 

世界各地で発生する紛争では、無辜の子どもたちが真っ先に被害に遭っている。圧倒的な軍事力を持つ大国が、小国に武力攻撃を仕掛けている。目に見えない有害物質が人々の故郷を奪っている。一時の利益のために、元に戻せないほど自然が破壊されている。このような不条理は全て水俣の反省であり、繰り返してはならない「悲劇」なのではないだろうか。そして繰り返さないために教訓を残すことこそが、「水俣病の真の解決」なのかもしれない

 

受け取り、活かす 

式典では、各々の立場としての思いが「ことば」にされた。ことばとして悲劇を語り続け、記録し続けることは、即時効果をもたらすことはないかもしれない。しかし教訓として残さなければ、悲劇は悲劇のままである

治ることのない病を抱えながら教訓を語り続ける患者の思いを、私たちは受け止めなければならない。不条理に抵抗し、闘い続けた水俣の人々の思いを活かすために。 きっとそれは、世界中の不条理を正すことにも繋がるから

 

編集後

本稿は三部構成でお届けしました。公式確認から70年という節目に、たくさんの水俣病患者遺族支援者らが闘い続けた軌跡を記事という形で「ことば」にできたこと光栄です。インタビューに協力してくださった松永幸一郎さん、毎年水俣で受け入れてくださる「きぼう・未来・水俣」代表の加藤タケ子さん、ありがとうございました

 

参考記事

・2026年5月2日付 朝日新聞(西部) 朝刊33面 「罪なく苦しんだ命へ 『水銀汚染ない世界に』環境相

・2026年5月2日付 読売新聞(西部) 朝刊1面 「水俣病70年 痛み今も

・2026年5月2日付 読売新聞(西部) 朝刊25面 「水俣病怒り乗り越え 『真の解決 教訓につなげた時』

・2026年5月2日付 朝日新聞デジタル 「水俣病の公式確認70年、患者願う『真の解決』の時 現地で慰霊式

https://digital.asahi.com/articles/ASV513T6NV51UTFL007M.html

・2026年5月2日付 読売新聞オンライン 「水俣病公式確認70年『真の解決は教訓につなげることができた時だ』認定患者の緒方正実さんが『祈りの言葉』」https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20260502-GYS1T00017/

・2025年10月20日付 朝日新聞デジタル 「環境省の調査方針、患者団体が批判『即刻中止を』 水俣病実務者協議

https://digital.asahi.com/articles/ASTB14G30TB1TLVB006M.html

 

・2026年5月2日付 西日本新聞 朝刊1面 「水俣病 犠牲強いられ70年

・2026年5月2日付 西日本新聞 朝刊2面 「真の解決へ 水俣に生きる